<<愛響とわたし>>1998年定期演奏会プログラムから


ヴァイオリンと私  山口富美(ヴァイオリン)

 私とヴァイオリンとの出会いは、5歳の時でした。母がピアノの講師をしていて、いつも家のなかで音楽が流れている環境で育った私は母から勧められ、習い始める事になりました。しかし、楽器を構えることだけでも難しい上に、音符を見るのも初めてだった私に上手に弾ける訳がありません。当時の先生の、すぐにマルをつけてどんどん先に進むといったレッスンに疑問を感じ、私はやめる事にしました。その後知り合いの紹介で、愛響の団員でもある恩師とめぐり逢いました。いつも優しく丁寧に指導してくださり、ヴァイオリンをとても愛しているのが子供の私にも伝わって来て、私は楽器を弾く事も、恩師も大好きになりました。毎日夕方5時になると、外で兄や友達と遊んでいた私は、家へ帰り1時間練習するのが習慣になりました。近所の友達にもヴァイオリンの音が聞こえたら5時だ・・・。と思ってもらえる位になりました。
 演奏会に出かけるのも好きで、愛響は小学校l年生の時から欠かさず母と二人で聴きに行っていました。その頃から、私も大人になったら入団したいなあと思っていました。ヴァイオリンがもっと上達したかった私は、高校・短大は音楽科へ進み、趣味を越えて勉強しましたが、就職と同時にあんなに好きだった楽器から離れてしまいました。両親はガックリ肩を落としながらも、お前の好きなようにしなさいと言ってくれました。
 それから1年たったころ、恩師から愛響に入団してみない?と言われました。一度は離れながらも、やっぱり好きで趣味にしていた楽器。そして、愛響に入団する夢がまだ心の中にあった私は、見学のつもりで出かけ、その帰りには入団の申し込みをしていました。
 オーケストラは、短大の時に少し経験があるだけでほとんど初心者状態で不安でしたが、同じ趣味を持った方々に囲まれて続けることが出来6年になりました。こうしてまた昔の自分に戻れるように導いて下さった恩師と、楽器を与えてくれた母に感謝し、これからもずっと続けて行けたらと思っています。


愛媛交響楽団に入団して  薄墨昌澄(オーボエ)

 私は高校卒業後、故郷の松山を離れて暮らしておりました。それから十数年経ち、再びこの地に帰ってまいりました。私が愛響に参加させていただいたのは、音楽をしたいということは勿論ですが、これからこの地で末永く暮らしていくために、私の親しんできた音楽を通して、この地域の人達とのつながりを持ちたいと思ったからです。
 思えば高校生のころ、愛響のべ一トーヴェン作曲「第九交響曲」の演奏を聴いたとき、前向きで、新鮮な印象を受けました。
 今愛響に入団して、当時と同じ思いがしています。この愛響を創られた方々のご努カ、またご指導いただいている先生方の力、そして団員のエネルギーのたまものだと感じました。これから愛響の一員として活動していくことを思うと、とても楽しみです。
 ところで、楽器を始めたのは中学校の吹奏楽部でした。運動は苦手だし、姉がトランペットをやっていたので、面白いのではないかと思ったのです。楽譜は読めないし後ろの方の楽器ならあまり目立たないのではと、トロンボーンをやらせてもらいました。その時の音楽の先生は、コンサートマスターの岩井倫郎先生でした。先生のご指導はとても熱く、引き込まれていくようでした。中学生なりに音楽をするとはこういうことなのかと感じたのを覚えています。
 そんな気持ちが自分の性にあったのか高校・大学で吹奏楽、その後市民オーケストラを通じて音楽を続けてきました。今私は大学の時に始めたオーボエを吹いています。こうして続けてこられたのは、音楽をすることが好きだったからだと思っています。あまり上手くありませんが、楽器を吹いているとほっとすることがあります。私はできるかぎり楽器を奏することを通して音楽を統けていきたいと思っています。これからもよろしくお願いします。


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