≪オーケストラの楽器≫ コントラバス  本田洋子


 オーケストラの構成要素として、最低音域を受け持つ楽器がコントラバスです。現在は管弦楽だけではなく、ジャズや吹奏楽など、幅広い分野で活躍していますが、その実体というものは、あまり知られていないというところが実体であるかも知れません。
 外見から申し上げますと、全長は約2メートルで、ヴァイオリンの3倍程度の大きさです(胴の容積比にすると27倍)。一見しますと「重そうだなあ」といった感想をお持ちになるかも知れませんが、いえいえ、だまされてはいけません。中身は空っぽですので、片手でヒョイと持ち上げることも可能なのです(単に、コントラバス奏者がパワフルなだけかも知れませんが)。しかしその大きさゆえに移動が大変で、楽器を持つことはすなわち、車を持つことにつながると言われています。「大は小を兼ねる」という諺がありますが、楽器に関してはそうも言えないのではないかと思う一瞬を、コントラバス奏者なら何度か経験していることだと思います。ちなみにチェロを機内に持ち込んだときの航空料金は、子供料金だという話です。
 コントラバスの起源は15世紀から18世紀(ルネサンスからバロック時代)にかけて、ヴァイオリン属に先立って使用されていた「ヴィオール」です。その中の低音楽器「ヴィオローネ」が直接の先祖であったとされています。ヴィオールはヴァイオリンの普及にしたがって廃れていきましたが、コントラバスは当時のヴィオールの姿を多く留めています。4本の絃の音程関係がヴァイオリンと違って狭いのも、胴の上端が指板に対してなだらかな傾斜をなし、裏板も平らであるという外見もヴィオール的特徴であります。完全にヴァイオリン属の特徴を備えたチェロの後ろ姿が、ウエストのキュッと締まったセクシーな女性を連想させるのに比べ、コントラバスがなで肩の和服女性を想像させる原因のひとつはここにあるかも知れません。
 さて、音楽がルネサンス以後、いわゆるバロック音楽として発展し、さらに現代に至るまでには、音楽の歴史と共にコントラバス独自の歴史が築かれてきたことを少しご紹介したいと思います。今から300年ほど前、「音楽の父・バッハ」や、男なのに「音楽の母・ヘンデル」が生きていたバロック時代から、あのモーツァルトやべ一トーヴェンが活躍していた古典派時代にかけて、コントラバスはオーケストラの中ではチェロと同じ楽譜を弾き、同じ旋律を歌ってきました。ベートーヴェンの交響曲第9番の4楽章の冒頭部分は、チェロとコントラバスのための旋律としてあまりにも有名です。その後、作曲家が個人の価値観の多様性を表現し始めたロマン派から、少しずつ傾向が変わってきたようです。
 この頃から、チェロはヴァイオリンに負けず劣らずの旋律楽器として台頭してきました。このことを私は「チェロの脱伴奏化」と呼び、コントラバスはこの時のチェロの勢いと、時代の流れに乗り遅れたのではないかと分析しています(本当?)。そしてその後コントラバスは得意の低音を活かした伴奏者として位置づけられてきました。ロマン派以後、民族の特徴を表現し、その誇りを歌ってきた国民楽派、フランスから誕生した印象派を経て、近代音楽・現代音楽へと発展するにつれて、コントラバスは伴奏者としての地位を揺るぎのないものとし、旋律というものから遠い存在になってきた訳です。コントラバスの歴史は音楽(特にオーケストラ音楽)の歴史に直結しており、その発展にともなって、存在理由を確立してきた典型的な例ではないかと考えています。
 そして今日、奏者たちは、ロマン派以後の楽譜を見ては「チェロがうらやましいなあ」と思い、ロマン派以前の楽譜を見ては「チェロと同じ楽譜なんか、難しくて弾けないよー」とぼやいているわけです。つまり、精細さを求めるチェロと同じ楽譜を愛する人と、コントラバス独自の勢いを重んじる人といった、二つの傾向が現れてきているのも、この歴史ゆえんのことであるのかも知れません。
 波乱の歴史を生きてきたコントラバス。彼は(彼女かも?)低音を充実させ、多くの旋律楽器を縁の下から支える重厚な音を身にまとい、たとえ旋律ではなくても、戦慄を与えることを喜ぴとし、時には「大きなチェロ」として豊かに歌ってきました。コントラバスはたくさんの魅カに満ちあふれている楽器なのです。

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