愛媛新聞社社説 ありがとう「愛響25年」の響き


 県内のアマチュア演奏家らで構成する愛媛交響楽団(愛響・河野国光代表)が今年、結成25周年を迎えた。14日夕には松山市内で記念の演奏会を予定している。 この四半世紀、質の高いハーモニーで県民に知的刺激を与え、子供たちの情操をはぐくんだ活動は貴重なものがあろう。私たちはあらためて団員らが重ねてきた活動に感謝するとともに、これからも「地方文化の華」としてかぐわしい薫りを届けてほしいと思う。
 愛響の活動を振り返る時、脳裏に浮かぶのは「継続は力」という言葉だろう。25年前、団が呱々(ここ)の声を上げたころは「愛媛では市民オーケストラは育たない」とまで言われていた。しかし、音楽を愛する団員の思いがさまざまな障害をクリアし、いまや、全国有数の楽団に成長しているのである。
 その活動は6月のサマーコンサート、冬の定期演奏会、こどものためのコンサート、移動公演と幅広い。クラシック演奏を聴く機会がほとんどない周辺部へも出向き、海辺の村で、島しょ部で、山間地で、人々の魂を揺さぶってきた。
 市民オーケストラは長期間にわたって存続するのが難しいとされるが、団員らは「純粋にいい音楽をつくる」ことを目標に力を合わせてきた。そして、今では愛響はすっかり「地方の財」となっているのである。
 私たちはその足跡に、3つの重要な要素を思い起こす。1つは「育ての親」である故渡辺暁雄氏との幸運な出会い、さらに内にあっては河野代表のけん引と団結ぶり、もう1つは県民の力強い後押しである。
 まず、現在の生命感あふれる演奏に磨き上げてくれたのは日本を代表する指揮者、渡辺氏だった。顧問として指導した渡辺氏は、団員らに難しい曲を演奏させることで、それぞれの音楽的な情熱をかきたててくれもした。
 立ち上がり期には「モーツァルトを演奏してもベートーベンに聞こえる」とまで言われた。練習でミスを連発するため、中央から招いた女性指揮者に「私もう帰ります」と言わしめた。そんな経緯もあったが、よき指導者を得て、年を経るごとに力量を高めてきた。
 また、河野代表は発足当初から運営ポリシーを「和」に置いた。市民オーケストラは職業も年齢もばらばらで一斉にまとまって練習することすら難しい。ともすれば意思疎通を欠きがちとなる。そこが市民オーケストラの苦労するところだが、河野代表のキャラクターや、しっかりした事務局体制でカバーしてきた。
 県民にとっては「市民による市民のための楽団」はそもそもが親しみある存在だ。加えて一級の指揮者やソリストを招いて研鑽する姿を、ファンが注目しないわけはなく、ほとんどの演奏会が満席の状態を続けてきた。 その意味で、愛響の歴史は聴衆と奏者が一体となって歩んできた歴史でもあった。
 演者と鑑賞者については、俳優の森繁久弥さんが面白いことを言っている。「私たちを燃料とすれば、お客さまはウチワです」−。つまり、熱演を駆り立てるのは観客の反応だというわけだ。その流で言えば愛響メンバーもいい「風」を受けてきた。
 指揮者と奏者、奏者と聴衆。その2つの快い緊張関係が愛響の身上と言うべきだろう。渡辺さんの長男康雄氏、二男規久雄氏を招いての記念演奏会の仕上がりは順調だという。四半世紀奏でたハーモニーに敬意を表しつつ、あらためてありがとうの言葉を伝えたい。


 平成9年12月8日発行、愛媛新聞7面に掲載された「社説」を愛媛新聞社の了解を得て紹介させていただきました。どうもありがとうございました。

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