麻生フィルハーモニー管弦楽団
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ライヴ・レポート〜演奏会を終えて〜Vol.4
第36回定期演奏会 2002年11月10日(日) 麻生市民館ホール
 街路樹が黄色に包まれ始めた11月10日は抜けるような五月晴れでした。第35回 定期演奏会の会場には実に大勢のお客様がいらっしゃいましたが、ホールの外でもフリーマーケットが盛況で、会場一帯は一時大変な賑わいとなりました。

 今回はモーツァルトとベートーヴェンのみという古典プログラムです。

 比較的大所帯の麻生フィルでは、古典の曲(編成が小さい)を取り上げると、トロンボーンなど管打楽器で演奏できない人が生まれてしまう可能性があります。今回はすべて古典のプログラムだった為、実際に出演できない団員が多数生まれてしまいました。
 麻生フィルには「団員は基本的に全員出演」という方針がありますが、この方針を敢えて崩してまで「オール古典」というプログラムにしたのは、今の麻生フィルにとって徹底的に古典を勉強することが大変重要であったからなのです。
 これは他でもなかなか経験できない新たなチャレンジプログラムでした。そして、十分すぎるほどの歯ごたえがありました。

 今回の3曲は、前回取り上げたプロコフィエフなどと比べて、譜面(ふづら)だけはさほど難しくありません。個人譜を与えられて弾けばある程度はさらさらと弾けてしまえそうです。
 しかしやってみると全くそうは行きませんでした。

 ここで突然ですが、ちょっとオーケストラを芝居に譬えてみましょう。この場合、指揮者=舞台監督、作曲家=脚本家、演奏者=役者、といったところでしょうか・・・「譜面」は「台本」ということになります。
 さて、台本が読みやすいからといって、芝居が簡単になるわけではありませんよね。台詞ってのはどうも、役者が台本・脚本の中身・背景をじーっくり考えて読まないと、単なる棒読みに過ぎず、監督からNGを沢山食らってしまうかもしれないそうです。ひょっとしたら、短い簡単な言葉こそが実に難しい台詞だったりするかもしれませんね。

 実は、オーケストラもこれと同じなのです。
 作曲家の意図をじーっくり汲み取り、周りの奏者との呼吸をピッタリ合わせていく作業は、むしろ、「譜面(ふづら)」が簡単な分、ごまかしがきかず、集中力を強いられます。今回の曲目で我々はそう した難しさを体験いたしました。

 ちょっとだけ具体的に紹介すると・・・楽器のパートによって、同じ役割の音を出 している楽器同士は同じニュアンスで演奏しなくてはなりませんが、「譜面(ふづら)」が簡単な程、それがちょっとでも違うと、てんで格好がつかなくなるのです。

 また、同じ強弱記号、たとえば“P”と書かれていても、場所によって必要とされる音量が異なることがあります。それは作曲家・指揮者が要求している事、他の楽器とのバランス、はたまた会場の響きなどの情報をしっかり踏まえたうえで判断しな くてはなりません。
 同じ“P”だからといって全部同じ音量で演奏すれば、台詞の棒読みと同じで、たちまちNGを食らってしまいます。

 ・・・さて、今回の「監督」、つまり「指揮者」はテレビや雑誌でお馴染みの茂木大輔先生です。

 練習会場の青葉幼稚園にふらりと現れた先生は、やや「癒し系」の豊かなお体(失礼!)と、とても人懐っこい笑顔で「あの世界的なオーボエ奏者が指揮棒を振って下 さる!」と身構えていた我々の緊張をそっとほぐしてくださいました。
 実際、私たちに対しても大変気さくに接してくださり、練習中も「この人、前世は寄席で大活躍なさっていかもしれない」と思わせるほどジョークがポンポンポンと飛び出してきました。先生が冗談という潤滑油を振りまいて下さったためにネガティブにならずに楽しい 練習でしたが、我々は茂木「監督」には沢山「NG」を頂いた気がします。
 しかしその「NG」の理由を実に的確な言葉で分かりやすく伝えてくださったおかげでOK」も増えて来て、少しずつ芝居が形になっていくのを体感させて頂いた気がします。

 当日の麻生フィルの「お芝居」は如何だったでしょうか?

 今回はパートごとに、「一人頭の平均で、さばいたチケットの数」を計測し、一番数の多いパートが打ち上げ代を割 引!!・・・という企画を行い、打ち上げの場で発表しました。
 さて、どのパートになったでしょうか?(これは当たってもなんも出ませんのであしからず。)
(レポート:定近昌人)
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