第9番の第1楽章 3tiefe Glocken についての考察

第9番の第1楽章に 3tiefe Glocken (3つの低い音の鐘。音程の指定あり)が登場します。 マーラー自身は実際にこの曲の演奏を聴き、手直しや注釈を入れる事無く去ってしまいましたので、 他の交響曲のスコアのように、どのような物をどこで演奏するというような注釈は無く、強弱記号があるだけです。 調べてみるとこの鐘の部分、自筆ファクシミリには記載がなく、初版スコアまでのどこかの段階で加えられたもののようです。 しかしこれまでの交響曲を演奏し、それらの背景を知れば、この鐘はどう描かれるべきか、自ずと明らかになってきます。

1楽章、様々な思いを巡らせてクライマックスを迎えたその時、全てを打ち消すような破壊的なドラと金管楽器が吹き鳴らされた後、 葬列にまで妄想が膨らみます。棺の中は愛する人なのか、ライバルなのか、それとも自分自身なのか。 土葬のため墓地へ向かうゆっくりな足取りの葬列の先頭でブラスバンドが葬送曲を奏でています。 すでに遠くなった町の教会ではこの間も、弔いの鐘を打ち鳴らし続けています。 そして次第に歩みの音も消え、鐘の音も消えて行き、平静を取り戻します。

この鐘はコントラバス、ハープと同じフレーズを演奏していますが、 コントラバスとハープの歩みのフレーズはフォルテからピアノになって行き、次第に遠ざかって行くよう表現されているところ、 鐘は最初からピアノで鳴らすようになっているのです。

通常この曲の鐘の演奏には、チューブラーベル(のど自慢と同じ鐘)か、プラッテン グロッケン(チューニングされた金属の板)が、 ステージ上にて演奏される事が多いようです。 しかし今回の演奏会では、ステージ上で小さく鳴らすのでなく、無情なまでの力強い教会の鐘の音が、遠くから、墓地へ向かう死者と参列者にそっと包むように語りかける、そんな、作曲家が「この状況を描こう」と心を動かせた雰囲気、あくまで遠くで鳴っている教会の鐘だという表現をしました。

様々な考える要素がありました。
1、ステージ上でなく、裏で演奏する(モニターカメラが必要。当時はありませんが、誰かが合図を出していれば演奏可能)
2、客席で遠くに聴こえるには裏でもだいぶ遠くに置き、相当な音量も必要。
3、鐘は音程感がありながら、適度な倍音も必要。
4、教会の鐘は単調な音でなく、揺れて振り子が当たった音である。
ただし、揺れると叩きづらく、意図しない強弱や、当たらなかったりタイミングがズレたりする。

レンタル出来る楽器に欲しい音程のカリヨン(実際の鐘と同じ物)が無く、 あったとしても上記の再現にはかえって制限が増えてしまいます。 そこで今回もプロフェッショナルパーカッションのご協力で、いろいろなレンタル楽器を選定させて戴きました。 そして最終的に当日の朝、客席で遠くの教会のように聴こえるまで何度も場所を試行錯誤し、本番を迎えました。 揺れを打ち返すほどの力技で打ち鳴らしましたので、当日のリハだけで疲労はピークになっていましたが、 果たして本番ではどう聴こえていたのでしょう。自分で聴けないのがとても残念ですがいかがでしたでしょうか。 今回の演奏会にいらっしゃれなかった方も、きっとまた何年かして再演する際にぜひ会場で体験して戴けたらと思います。
(T.Kuriyama)

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