マーラーの交響曲という巨大な山脈を踏破するという我々の試みも第6、第10(アダージョ)、第5、第3と続いていて、第5回を迎えることとなった。今回は来年予定している第2「復活」の第1楽章の初稿である交響詩「葬礼」と第1番「巨人」である。
私が、初めてマーラーの音楽を聞いたのは、小学校5年生頃、バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの「巨人」のLPだった。冒頭の静寂な美しさに始まり、終楽章の熱狂的な終結まで、一気に引き込まれた。
70年代当時は、まだまだ日本でマーラー(ブルックナーも同様だが)の実演を聞く機会は多くなかった。外来オケもマーラーを持ってくるのは稀だったと記憶している。しかし、その後ヨーロッパに渡り、ちょうどマーラー・ルネッサンスとも言える状況の中、いわゆるマーラー指揮者と目されるマエストロたちが頻繁に演奏していることに、驚き、喜んだものだ。今までに様々な指揮者の実演を聞いてきたが、中でも、恩師ベルティーニがウィーン、ケルン等で行った全曲のサイクル、バーンスタインがウィーンフィルで指揮した第4、第5、第6、テンシュテットがベルリンで指揮した第6など特に印象深いものだ。
この20数年のマーラーを取り巻く環境は大いに変わったと言えるだろう。世界中のオーケストラが頻繁にマーラーを取り上げ、東京でも当たり前の状況になり、アマチュアがマーラーの交響曲に挑戦することもたびたびだ。ただ、そうした流れの中で、こだわりを持ったマーラーを演奏する指揮者が何と少なくなったことか。昔は特別な思い入れのあるマエストロたちしか指揮しなかったものだが、指揮者もオーケストラも充分な準備をすることもなく、気楽にマーラーをプログラミングするようになった。もちろん、それはマーラーの作品がポピュラーになった証でもあるが、安易にマーラーを取り上げる風潮に、いささか違和感を持っているのは私のみではあるまい。バルビローリは「マーラーの交響曲1曲を勉強するのに10年はかかる。」と言って、結局全曲を指揮することはなかった。
マーラーの作品を演奏することの難しさは、マーラーの作品が持つ独特の語感ともいうべきものだろう。いかに指揮者が明晰にアナリーゼができていて、技術的な困難さをオーケストラがクリアしていても、マーラー的な語感を表現できなければ、まったく浅薄であじけないものになってしまう。ボヘミアの地方都市生まれのユダヤ人であり、その幼少はユダヤの音楽とボヘミアの民族音楽に囲まれていたのは想像できる。その後、ウィーンで学び、終生変わらぬこだわりをウィーンに持っていた、カトリックに改宗したユダヤ人。ハウプスブルグの大オーストリア帝国崩壊を目にすることなく、またその後のホロコーストを知らずに世を去ったマーラー。まさしくマーラーの音楽にはその生きた人生の中に刻まれた、濃厚な香りが漂っている。このエッセンスは直感的な嗅覚を持たぬ者には理解しがたいものかもしれない。
今、自分自身でマーラーの交響曲を指揮することの喜びは何ものにも代え難い。師のベルティーニから、長らく「マーラーを指揮するのは、あせってはダメ。充分に熟慮し、自分自身の中で成熟を実感できるまでは、指揮するな。」と言われていた。最高のマーラー指揮者と言われたマエストロ自身、実際マーラーを指揮し始めたのは40台半ばに差し掛かってから。それまで、じっくりスコアを読み、熟考していたのだろう。マエストロにJMOの立ち上げについて相談したら「そろそろ、いいかもね。」と苦笑していた姿が目に浮かぶ。
マーラーの音楽が問いかけ、また導いてくれる、深い息吹、人生、そして、魂のありか。マーラーのスコアは私にとってかけがえのないものだ。恐らく、終生そこにある真実を追い求めていくことだろう。今日、会場に足を運んでくださった皆さんが私とJMOのメンバーと共に何を感じ、見つけ出してくださるのか、楽しみだ。それこそが、マーラーが私たちを魅了してやまない最大の理由かもしれない。
(*本稿は第5回定期演奏会パンフレットに掲載されたものです。)
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