「新保さん、新しいオーケストラ創らない?」
指揮者の井上喜惟氏が、突然電話でそう切り出した。前世紀がまさに幕を閉じようとしていた2000年12月のある晩のことだった。
「そうですねえ・・・ それでいつ? どうやって人を集めます? 名前は?」私にとっては青天の霹靂だったはずだが、あのとき「なぜ」とは問わなかった。
それはもう運命として決まっていて、私の選択肢にはイエスしかないと直感したからである。
当時私は、あるアマチュアオーケストラでトランペットを吹きながら楽譜係を務めていた。井上氏はそこに招かれて幾度かの演奏会を指揮した。
彼の音楽観と人柄に深く共鳴した私は、恐れ多くもプロとアマチュアという垣根を超えて、いつしか「自分たち」の本当にやりたい音楽について彼と熱心に語り合うようになっていたのである。
彼が振る本番のステージで起こった「奇跡」のいくつかは、今も鮮明に脳裏に焼きついている。
技術の未熟なアマチュア奏者たちの(全員ではないが)大半が、突然何かに取り憑かれたように突き動かされ、部分的にではあるが実に感動的な演奏を「しでかす」のである。
それだけでもすごいことではあるが、井上氏はもっと先を見ていた。私も理想と現実のギャップに悩み始めていた。
井上氏となら、もっと深い音楽を創れてもよいはずだ。
そういう思いがピークに差し掛かったちょうどその頃に「オーケストラ創らない?」という誘いを受けたのである。
自分の理想が現状の地道な改善によって到達できるレベルではないことを知っていた私にとって、それは天啓に等しかった。
その後の二人の活動の素早かったこと・・・。
新世紀が明けた1月13日には、もう中核となるメンバー18人が新宿に結集して詳細な「創立打ち合わせ」を行なっている。
その場には、以後ずっと企画・運営面でお世話になっているプラネット・ワイの酒井さんの姿もあった。
井上氏の強い希望により、マーラーの交響曲を中心に演奏活動をすることになり、名称もジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ(JMO)と決まった。
あれから毎年1回にも満たないペースではあるが、じっくりと練り上げた深い音楽を提供するという当初の目的には、回を重ねるごとに確実に近づいてきたと思う。
数ある演奏会の中から私たちの定期演奏会に目を留め、毎回必ずお聴きいただいているコアなお客様も増えてきたようである。
いつも応援してくださる聴衆の皆様、そして経済的な援助を賜っている賛助会員の皆様に、この場を借りて心から感謝の意を表したい。
また、一緒に演奏する喜びを分かち合いたいと思われる方は、ぜひご連絡をいただきたい。