Concert Notes

第4回定期演奏会

グスタフ・マーラー:交響曲第3番

曽雌裕一

 グスタフ・マーラー(1860−1911)は、ボヘミアのカリシュテという村(現在はチェコ共和国)に生まれた作曲家ですが、15歳のときからウィーンえ音楽活動を始め、後年、ウィーン宮廷歌劇場(現在の国立歌劇場)の指揮者・監督として大成功を収めたこともあり、事実上、オーストリアの音楽家としてよく知られています。
 交響曲としては、「大地の歌」を含めて全部で10曲(番号付きは9曲)の作品を完成させましたが、第3番は、第2番「復活」、第4番と3曲合わせて、《歌曲集「子どもの不思議な角笛」と関連した3部作》とグループ分けされることがよくあります。3曲とも、この歌曲集に由来する声楽パートを伴っていることがその大きな理由です。ちなみに第4番の後は、第8番「千人の交響曲」(8人の独唱を必要とします)と「大地の歌」(実質的には交響曲というより大規模な連作歌曲集)という異色作を除いては、声楽を伴った交響曲は全く作曲されませんでした。
 さて、前作の交響曲第2番「復活」を完成させた後、マーラーはすぐに第3番の構想に着手し、1895年の夏にスケッチを開始してから約1年で総譜を仕上げています。このころ、彼は6月下旬から8月下旬の夏の間、ザルツカンマーグート(ザルツブルグ近郊)のアッター湖畔シュタインバッハにあるホテルで創作活動を行うことを常としていましたので、湖周辺の美しい自然がこの交響曲第に大きな影響を与えたことは想像に難くありません。
 マーラーは当初、この交響曲を全7楽章で構想し、各楽章に標題を与えていました。それは、I. 牧神は目覚める。夏がやってくる、II. 野の花たちが私に語ること、III. 森の動物たちが私に語ること、IV. 人間が私に語ること、V. 天使たちが私に語ること、VI. 愛が私に語ること、VII. 子どもが私に語ること、というものでした。しかし、構想途上で第7楽章は削除され、次の交響曲第4番の第4楽章に転用されることになります。
 結局、全6楽章構成で曲は完成するのですが、残された6つの標題も、音楽の理解をむしろ妨げるもので、聴衆は音楽自体からその本質をつかむよう努力すべきだとして、譜面の印刷前にこれを全部取り去ってしまったのです。ですので、この表題を掲示することは本当はマーラーの意に反することではありますが、この短いメッセージによって、かえってマーラーのイメージした楽章の性格がよくわかることもあるため、今でも多くの場合、曲目解説にはこの表題が付されています。
 総譜は ヴァインベルガー社から出版された後、ユニヴァーサル・エディションに権利が引き継がれ、本日の演奏会でも、同社から出版されたウィーン・マーラー協会版の総譜(UE13822)を使用しています。

[各楽章の聴きどころ]
●第1楽章:力強く。決然と(演奏時間:約40分)
 いきなり8本のホルンのユニゾンによる力強い主題が登場します。これは、ドイツの学生歌「我らは校舎を建てた」の旋律に基づくもので、マーラーはこの主題を「起床の合図」と呼んでいます。いわば「パン(牧神)よ目覚めよ、夏がやってくるぞ」という、これからの物語を暗示する合図でもあるわけです。ホルンのユニゾンによる導入という点では、シューベルトの交響曲第9番「ザ・グレイト」第1楽章冒頭とどこか類似性を感じさせます。
 このあと、たびたび登場するトロンボーンの長大なソロも演奏者の腕の見せどころ。楽章の中心をなす行進曲風の進行(=夏の訪れ)では、木管や金管の精緻なアンサンブルにご注目ください。もちろん弦楽器も難所の連続。信号ラッパの響きや、木々の間にこだまする鳥たちの鳴き声があちこちで聞こえる中、冒頭の主題がホルンに戻ってきて再現部が始まり、おおきなクライマックスを築いた後、全875小節、40分近くの巨大な第1楽章が終わります。

●第2楽章:メヌエットのテンポで、非常に穏やかに(演奏時間:約10分)
 当初付けられていた《野の花たちが私に語ること》という標題に象徴されるとおり、自然への素朴な愛情を謳った間奏曲風の楽章です。冒頭にオーボエが奏でる旋律も、のどかな情感に溢れる美しいメロディですが、低音部を柔らかく演奏することが極めて困難なオーボエという楽器にとって、このわずか9小節のパッセージは、はっきり言って地獄の試練。プロのオーケストラの入団試験にも使われることのある、大変に難しい演奏個所です。

●第3楽章:コモド・スケルツァンド あわてずに(演奏時間:約20分)
 この楽章はスケルツォの一種と考えることができます。形式的には変則的な三部形式を取っていますが、最大の聴きどころは、その中間部にあたる部分で、遥か遠方から聞こえてくるように演奏されるポストホルンの典雅な響きです。通常は舞台裏で演奏されることが多いため、どんな人がどんな楽器で吹いているのかは全曲終了するまでわかりません。本日も是非それを楽しみにお聴きください。なお、この中間部は、《子どもの不思議な角笛》の「夏の日の交代」を引用しています。また、フルート・ピッコロ族が大活躍する楽章でもあります。

●第4楽章:とてもゆったりと、神秘的に(演奏時間:約10分)
 アルトの独唱が初めて登場します。歌詞は、ニーチェの《ツァラトゥストラはかく語りき》第4部の「ツァラトゥストラの真夜中の歌」です。「おぉ人間よ、注意せよ!真夜中は何を語ったか?」から始まり、「その悩みは深い!快楽はその傷心よりも深い。だがすべての快楽は永遠を、深い永遠を欲する」と永劫回帰の哲学を歌います。

●第5楽章:快活なテンポで、表情は大胆に(演奏時間:約5分)
 一転して、鐘の音を模した「ビム・バム」という子どもたちの合唱で始まる軽快な楽章です。しかし、やがて女声合唱やアルト独唱も加わって歌われる内容は、キリスト最後の晩餐の席上でのペテロの裏切りの告白、という決して軽くはない聖書の中の題材です。これも、歌曲集《子どもの不思議な角笛》から取られています。また、この楽章ではヴァイオリンが全く演奏を行わない、という注目すべき音楽的特徴もあります。

●第6楽章:ゆったりと、落ち着いて、感情を込めて(演奏時間:約30分)
 長い長い音楽のうねりの末に、まるで世界が一変したかのような平穏な弦楽器の調べでこの楽章は始まります。しかし、よく聞くと、この主題が第1楽章冒頭で力強く奏されたホルン8本の主題の変形であることに気がつきます。曲は、神への祈りにも似た静謐な弦の響きから、次第に木管楽器や金管楽器と楽器編成を増して重層的に発展していきますが、トランペットの輝かしいコラールを始めとした金管楽器の高らかな響きが、ブルックナーとはまた違った、しかしどこかでその脈絡を共有するかのような荘厳な世界を創り出していきます。そして、ティンパニの印象的な連打を伴って、演奏時間2時間にもなんなんとするこの大曲が、感動的な終幕を迎えるのです。
 本日、この曲を演奏する「ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラ」は、その名のとおり、最初からマーラーの作品を演奏するために活動を開始したオーケストラですが、アマチュア演奏家にとって、この大曲の演奏は、「無謀すれすれの挑戦」であることに変わりはありません。本当に「無謀」だったのか「英断」だったのか、その評価は、本日、演奏家に足をお運びくださった皆様の「耳」と「心」のご判断に全てを委ねるしかありませんが、この終楽章がそれこそ「奇跡のように美しい音楽」として会場に鳴り響き、皆様の心の中に深い思いをお届けできるよう、私たちは、今、「無謀すれすれの挑戦」に敢然と挑もうとしています。

※第4回プログラムに掲載されたものです。禁無断転載

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