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第18回演奏会 
 
F. メンデルスゾーン/「夏の夜の夢」序曲(op.21)

  1826年、フェーリクス・メンデルスゾーン(1809〜47年)が17歳の時の作品である。メンデルスゾーン家の子どもたちは、その前年、広大な自宅のホールでシェイクスピアの戯曲「夏の夜の夢」を演じた。メンデルスゾーンはこの時の経験をもとにまずこの作品をピアノ連弾用に書き、ついでみごとなオーケストラ作品に仕立て上げたのであった。これが本日演奏される作品21の序曲である。ちなみに、劇付随音楽「夏の夜の夢」として知られるのは作品61で、作品21の序曲に感銘を受けたプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の命を受けて1843年に作曲された。
  ウィリアム・シェイクスピアの戯曲「夏の夜の夢」は夏至のアテネとその近郊の森を舞台とする喜劇である(midsummerは盛夏ではなくて夏至のころを指すのだそう)。登場人物は大きくわけて貴族、職人、妖精の3グループ。目覚めて最初に見たものに恋してしまうという「愛の妙薬」を、妖精パックがふたりの若い貴族と妖精の女王タイテーニア(妖精の王オーベロンの妻)の瞼に塗る。そのせいで若い貴族はこれまで見向きもしなかった女にふたりそろって求愛するし、タイテーニアに至ってはこれまた妖精のいたずらでロバの頭巾をかぶせられた織り物職人に恋してしまう。こんなハチャメチャ、ドタバタが夏至の夜にアテネの森を舞台に繰り広げられ、最後はうまいこと理想的な形に収まるというハッピーエンディングの物語である(三谷幸喜の作品のようである)。
  この芝居をよく知るメンデルスゾーンが書いた序曲には、物語のエッセンスが存分に盛り込まれている。木管楽器とホルンによる美しく短い序奏で舞台の幕が上がる。続いてヴァイオリンの細かい音符のメロディが浮かび上がる。これは妖精たちの戯れなどと言われ、たしかに羽のある小さな妖精たちが飛び交う姿が目に浮かぶ(ちなみに小さい妖精を「発明」したのはシェイクスピアだという説がある。それまで妖精は大きいものだったらしい)。その後の華々しい全奏は貴族の登場。アマゾンの女王ヒポリタ(ヒッポリュテー)との婚礼を間近に控えたアテネの公爵シーシュース(テーセウス)だろう。次いで登場するのが男女2組の若い貴族。かれらの恋が下降形の甘い旋律によって歌われる。最後に金管楽器に導かれた舞曲でおどけて登場するのは職人たち。これで役者がそろった。
  展開部では妖精の旋律がふたたび登場するが、今度は先とは少し様子が異なる。なんだか騒がしい。どうやら人間たちがあちらこちらから森に入ってきたらしい。
  木管楽器とホルンの和音がふたたび聞こえる。再現部に入ったのだ。妖精たちの旋律が三度出てくるのだが、耳を澄ませばどこからから低いうなり音が聞こえてくる。夜だ。深く黒い森には人智を超えた恐ろしいなにかが潜んでいる。そんなことがよく表現されている。それをよそに若い貴族たちは恋の旋律を歌い、職人たちが踊る。そうこうしているうちに空が白み、あちこちで鳥がさえずり始めた。こうして夏至の短い夜が明けて幸せなエンディングを迎える。
  こうしてみるとこの作品には余計な音や冗長なところがない。同じ旋律が使われる場合にも、いつも新しい工夫が凝らされていて、前とは違う音が聞こえてくる。例えば同じ妖精の戯れの旋律でも、地の底から低音楽器の音が響いてきたり(オフィクレイド(ユーフォニアムで演奏)が効果的だ)、木管楽器の可愛らしい上昇音型が加えられたりなど、ヴァラエティに富む。メンデルスゾーンが若いころにすでに完成した作曲家であったことが窺える素晴らしい作品である。

F. J. ハイドン/交響曲第92番ト長調「オックスフォード」(Hob. I- 92)
I. Adagio - Allegro spiritoso
II. Adagio
III. Menuetto: Allegretto
IV. Finale: Presto

  この作品はフランスのドーニィ伯爵の委嘱により、第90、91番と共に1788〜89年に作曲され、パリで初演された。それにもかかわらず「オックスフォード」という愛称があるのには次のような経緯がある。フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732〜1809年)は1761年から約30年の長きにわたりエステルハージ公爵家に仕えた。音楽好きの当主ニコラウス・ヨーゼフ・エステルハージが1790年に没すると、ハイドンは同家を離れることになる。ドイツのボンに生まれロンドンでヴァイオリン奏者・興行主として活躍していたヨハン・ペーター・ザロモンがそのニュースをきいて、ハイドンにロンドンへの招聘を申し出た(ザロモンという人はかつてベートーヴェンと同じ家に住んでいたことがあり、またメンデルスゾーンの母レーア・ザロモン(旧姓)とは親戚関係にあったらしい。今も昔も世界は狭い)。
  ハイドンはこの申し出を受けて同年末にヴィーンを出発し、翌年1月2日にロンドンに到着した。それから約1年半がハイドンにとって1回目のロンドン滞在ということになる(その後、いったんヴィーンに戻るが、再び1年半にわたりロンドンに滞在した)。英語を話せないハイドンを心配してロンドン行きを思いとどまるよう説得したのが、年下の友人モーツァルト(1756〜91年)であったが、そのモーツァルトはハイドンのロンドン滞在中の1791年11月に体調を崩し、12月5日にこの世を去った。ハイドンはそのニュースを聴き悲嘆にくれたのだった。
  さて、1回目のロンドン滞在の初年の3〜6月には、第95、96番交響曲の新作初演を含む13回のコンサートが開かれて好評を博し、ロンドンでのハイドン評価はたいへんに高まった。7月にはオックスフォード大学名誉博士号を受けることになり(これを発案したのはハイドンの熱烈な信奉者チャールズ・バーニー博士)、その授与式にあわせて開かれた3回の演奏会で演奏された作品に第92番の交響曲があった。これは既にパリで初演されていた作品だったが、オックスフォードの人々にとっては新作で、大変に好評であった。これにちなんでこの作品は「オックスフォード」と呼ばれるようになったというわけである。
  第1楽章、序奏は弦楽器主体の優しい旋律で始まり、いくぶん深刻さと繊細さを加えながら主部に入る。第1主題は快活な旋律で、ヴァイオリンに導かれて迸るような全奏が心地よい。歯切れの良い第2主題がそれに続く。展開部は第2主題から始まり、すぐに第1主題が取り上げられる。対位法を駆使した響きが面白く、ハイドンの技巧を楽しむことができる。最後に両主題が繰り返されて終わる。
  第2楽章はヴァイオリンがなだらかな旋律を歌う。これにフルートが寄り添い、ホルンが美しい合いの手を入れる。ひとしきり歌い終えた後の、ヴァイオリンの1オクターヴの跳躍を含む旋律が、耳に新鮮な響きをもたらす。中間部には激情的な楽想が表れ、木管楽器のシリアスなアンサンブルがそれに続く。再び柔らかな美しい旋律を取り戻すと、嘆息しながら木管のシリアスな旋律を回想してこの楽章を終える。
  第3楽章メヌエットは優美で前向きな旋律で始まり、やがてシンコペーション主体の中間部が表れ、メヌエット主題が再び奏される。トリオはホルンとファゴットによるシンコペーションをもちいた主題で、弦楽器が柔らかな合いの手を入れる。そしてダ・カーポ。
  第4楽章が始まると、待ってましたとばかりに第1主題が駿馬のように駆け出し、各楽器にめまぐるしく引き継がれる。やがて現れる下降音型が涼しげである。第2主題は弦楽器とフルートの絡み合い。展開部では音のない瞬間が効果的に用いられ、両主題の対位法的展開が面白い。再現部でふたつの主題が再現した後、弦楽器とファゴット、次いでフルートが第1主題のヴァリエーションを奏し、コーダに入り、そのままの勢いで終わる。
  この作品では休符がうまく使われ、ふっと音のない時間が随所に表れるのが印象的である。またさまざまなところで対位法が駆使され高い効果をあげている。ハイドンの技術の高さと溢れる人間味が感じられる作品である。

R. シューマン/交響曲第1番変ロ長調「春」(Op.38)
I. Andante un poco maestoso - Allegro molto vivace
II. Larghetto
III. Scherzo: Molto vivace
IV. Allegro animato e grazioso

  ローベルト・シューマン(1810〜56年)は、はじめ大学で法律を専攻するが、ピアニストになる夢を捨てきれず、1830年にピアノ教師フリードリヒ・ヴィークの内弟子になった。幾人かの女性との恋愛を経て、1836年に師の娘で天才的なピアニストと謳われたクラーラと恋に落ち、ふたりは翌年婚約した。フリードリヒはこれを許さず訴訟沙汰になったが、1840年、裁判所の許可を得てふたりは結婚にこぎ着ける。この年、シューマンは130以上の歌曲を完成させた。「歌の年」と呼ばれる。
  翌1841年、興奮いまだ冷めやらぬシューマンは、友人アードルフ・ベットガーの詩「汝、雲の霊よ」の最終行「谷間には春が燃え盛っている」に触発されて交響曲第1番の作曲を開始する。1月23〜26日の4日間でスケッチを終え、すぐさまオーケストレーションに取り掛かると2月20日に完成させてしまう。たいへんなスピード作曲である。初演も早く、その年の3月31日、妻クラーラの演奏会にて親友メンデルスゾーン指揮するライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるが、それにあたってはメンデルスゾーンのアドヴァイスを受けて改訂をおこなっている。当初は各楽章に「春の訪れ」「黄昏」「朗らかな戯れ」「春爛漫」といった標題がつけられたがこれは出版に当たって削除された(その理由は不明)。
  クラーラとの恋愛の成就と春の詩のほかに、この作品に影響を与えたとされるのが、「ザ・グレイト」の名で知られるシューベルトの大ハ長調交響曲である。1838年、ローベルトは自ら主宰する音楽専門紙『音楽新報』の業務拡張のためにヴィーンを訪れたのだが、この際にフランツ・シューベルトの兄フェルディナンドの家でほこりをかぶっているこの曲の総譜を発見し、翌年、メンデルスゾーンの指揮で初演した。シューマンの交響曲第1番では冒頭にホルンとトランペットのファンファーレがあるが、これはシューベルトの大ハ長調交響曲の影響を受けたものだといわれている。シューマンには、それまで完成させたオーケストラ作品がほとんどなかったが、この作品以降はオーケストラ作品に力を入れるようになる。交響曲第1番は彼の創作人生にとって転機となった作品でもある。
  第1楽章、導入部はホルンとトランペットさらに全奏のファンファーレで始まり、それに続く上向音型が春は「跳ねる(spring)」季節であることを思い出させてくれる。徐々に高揚し主部に入ると、木管楽器とヴァイオリンが冒頭のファンファーレの音型を引き継いだ第1主題を快活に奏でる。続く第2主題は木管楽器により奏される。展開部では長い音符を組み合わせた対旋律が第1主題に絡んだり、トライアングルが登場したりして多様な展開を見せる。そして、蠢くチェロとバスに支えられてヴァイオリンとヴィオラが高みに至る快感の極点でファンファーレが鳴り響き再現部に入る。終結部はアニマートで、少し力の抜けた新しい旋律が登場し、その後は一気呵成に終結に向かう。
  第2楽章は単一の主題から構成されている。ヴァイオリン、チェロ、木管楽器と受け継がれていく。次の楽章の主題を先取りした楽句がトロンボーンによりコラール風に奏され、完全終止せぬまま終わる。
  第3楽章は2つのトリオをもつスケルツォ。スケルツォは厳めしさのある主題と柔らかな中間部からなる3部形式である。和声的に構成される2拍子の第1トリオがあり、スケルツォを経て、今度は音階的に構成される第2トリオに入る。短いスケルツォがあってコーダに入ると第1トリオが回想され、終止感がないまま第4楽章に飛び込む。
  第4楽章は、短い序奏のあと、戯れるヴァイオリン(「夏の夜の夢」の妖精のようだ)により主部が始まる。これが第1主題。第2主題は木管楽器の軽やかな旋律(シューマンのピアノのための傑作「クライスレリアーナ」の終曲の主題の転用)と弦楽器の重々しい旋律が組みあわされている。後者の旋律が変形したものがしばらく続き、展開部に入ってもこの旋律が中心に展開される。ホルンとフルートのカデンツァがあって、第1主題と第2主題が再現される。終結部ではテンポが上がりクライマックスを迎える。
  この作品は派手なファンファーレで始まり派手な全奏で終わるから、間に挟まれた第2・3楽章はどうしても不利で、印象が薄くなる感があるのは否めない。それに、両楽章とも終止感が乏しいままに終わるため、腰が据わらない感じもある。しかし、そんな難しい部分こそシェフの腕の見せ所だろう。シェフがどう料理するか、ぜひお楽しみいただきたい。

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  各作品の日本初演について紹介しておこう。「真夏の夜の夢」序曲が日本初演されたのは1926(大正15)年6月13日で、近衞秀麿指揮の日本交響楽協会による。日本交響楽協会は山田耕筰が1925年3月に立ち上げたオーケストラで、設立直後には、東京、名古屋、大阪などを巡演した日露交歓交響管弦楽大演奏会にて、ロシア革命から逃げてハルビンにいたロシア人楽士と合同で演奏した(この演奏会は日本人が「ホンモノ」のオーケストラの音に初めて接した機会として知られる)。しかし1926年9月には早くも分裂し、近衞や中心的なメンバーが離脱して新交響楽団を立ち上げた(後に日本交響楽団と名を代えて、現在のNHK交響楽団に至る)。
  「オックスフォード」の日本初演は、1928(昭和3)年2月19日の国民交響楽団第1回演奏会でのこと。指揮の小松平五郎は兄が耕輔(作曲)、弟は清(音楽評論、仏文学)で、自身も作曲した。このオーケストラには朝比奈隆(指揮)、清瀬保二(作曲)などが奏者として加わっていた。この年には東京シンフォニー・オーケストラも発足し、ちょうど日本におけるオーケストラ活動が盛り上がりを見せたころにあたる。
  「春」はだいぶ遅くてアジア太平洋戦争終結後のことである。1949(昭和24)年3月21・22日の日本交響楽団第305回定期公演(旧新交響楽団、現NHK交響楽団)で、尾高尚忠の指揮による。当日の他のプログラムはストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番で、ピアノ独奏は園田高弘。指揮の尾高は作曲家としても活躍し、著名なオーケストラ作品に日本組曲やフルート協奏曲などがある。1951年に過労により急逝。死を惜しむ声が大きかった。長男は惇忠(作曲)、二男は忠明(指揮、新国立劇場オペラ芸術監督)。

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  「夏の夜の夢」「オックスフォード」「春」というプログラムは、ひとことで言って、シブイ。玄人好みである。それぞれは超がつく名曲であるが、どれも演奏が難しいし、そのうえ(こう言っちゃ失礼だが)集客の目玉になるような作品でもない。だから、常に集客を考えなければならないプロのオーケストラには、なかなかこんなプログラムを組めまい。本日はこれらの作品をひとつのプログラムとして味わうことのできる貴重な機会である。
  「夏の夜の夢」は恋愛・結婚が中心テーマの喜劇だから、それにあわせて書かれた序曲は、クラーラとの恋愛を成功させたシューマンの「春」をメインとするプログラムのオープニングにはもってこいの作品であると言えるだろう。また、「オックスフォード」は、恋愛や結婚とは関係はなさそうだけれども、ハイドンがオックスフォード大学の名誉博士の学位を授与されるに際して演奏しためでたい作品である。
  難曲揃いだが、メロスはきっと鮮やかに演奏してくれるだろう。佳曲によるめでたいプログラムをどうぞゆっくりお楽しみください。

酒井健太郎
 
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