I. Andante un poco maestoso - Allegro molto vivace
II. Larghetto
III. Scherzo: Molto vivace
IV. Allegro animato e grazioso
ローベルト・シューマン(1810〜56年)は、はじめ大学で法律を専攻するが、ピアニストになる夢を捨てきれず、1830年にピアノ教師フリードリヒ・ヴィークの内弟子になった。幾人かの女性との恋愛を経て、1836年に師の娘で天才的なピアニストと謳われたクラーラと恋に落ち、ふたりは翌年婚約した。フリードリヒはこれを許さず訴訟沙汰になったが、1840年、裁判所の許可を得てふたりは結婚にこぎ着ける。この年、シューマンは130以上の歌曲を完成させた。「歌の年」と呼ばれる。
翌1841年、興奮いまだ冷めやらぬシューマンは、友人アードルフ・ベットガーの詩「汝、雲の霊よ」の最終行「谷間には春が燃え盛っている」に触発されて交響曲第1番の作曲を開始する。1月23〜26日の4日間でスケッチを終え、すぐさまオーケストレーションに取り掛かると2月20日に完成させてしまう。たいへんなスピード作曲である。初演も早く、その年の3月31日、妻クラーラの演奏会にて親友メンデルスゾーン指揮するライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるが、それにあたってはメンデルスゾーンのアドヴァイスを受けて改訂をおこなっている。当初は各楽章に「春の訪れ」「黄昏」「朗らかな戯れ」「春爛漫」といった標題がつけられたがこれは出版に当たって削除された(その理由は不明)。
クラーラとの恋愛の成就と春の詩のほかに、この作品に影響を与えたとされるのが、「ザ・グレイト」の名で知られるシューベルトの大ハ長調交響曲である。1838年、ローベルトは自ら主宰する音楽専門紙『音楽新報』の業務拡張のためにヴィーンを訪れたのだが、この際にフランツ・シューベルトの兄フェルディナンドの家でほこりをかぶっているこの曲の総譜を発見し、翌年、メンデルスゾーンの指揮で初演した。シューマンの交響曲第1番では冒頭にホルンとトランペットのファンファーレがあるが、これはシューベルトの大ハ長調交響曲の影響を受けたものだといわれている。シューマンには、それまで完成させたオーケストラ作品がほとんどなかったが、この作品以降はオーケストラ作品に力を入れるようになる。交響曲第1番は彼の創作人生にとって転機となった作品でもある。
第1楽章、導入部はホルンとトランペットさらに全奏のファンファーレで始まり、それに続く上向音型が春は「跳ねる(spring)」季節であることを思い出させてくれる。徐々に高揚し主部に入ると、木管楽器とヴァイオリンが冒頭のファンファーレの音型を引き継いだ第1主題を快活に奏でる。続く第2主題は木管楽器により奏される。展開部では長い音符を組み合わせた対旋律が第1主題に絡んだり、トライアングルが登場したりして多様な展開を見せる。そして、蠢くチェロとバスに支えられてヴァイオリンとヴィオラが高みに至る快感の極点でファンファーレが鳴り響き再現部に入る。終結部はアニマートで、少し力の抜けた新しい旋律が登場し、その後は一気呵成に終結に向かう。
第2楽章は単一の主題から構成されている。ヴァイオリン、チェロ、木管楽器と受け継がれていく。次の楽章の主題を先取りした楽句がトロンボーンによりコラール風に奏され、完全終止せぬまま終わる。
第3楽章は2つのトリオをもつスケルツォ。スケルツォは厳めしさのある主題と柔らかな中間部からなる3部形式である。和声的に構成される2拍子の第1トリオがあり、スケルツォを経て、今度は音階的に構成される第2トリオに入る。短いスケルツォがあってコーダに入ると第1トリオが回想され、終止感がないまま第4楽章に飛び込む。
第4楽章は、短い序奏のあと、戯れるヴァイオリン(「夏の夜の夢」の妖精のようだ)により主部が始まる。これが第1主題。第2主題は木管楽器の軽やかな旋律(シューマンのピアノのための傑作「クライスレリアーナ」の終曲の主題の転用)と弦楽器の重々しい旋律が組みあわされている。後者の旋律が変形したものがしばらく続き、展開部に入ってもこの旋律が中心に展開される。ホルンとフルートのカデンツァがあって、第1主題と第2主題が再現される。終結部ではテンポが上がりクライマックスを迎える。
この作品は派手なファンファーレで始まり派手な全奏で終わるから、間に挟まれた第2・3楽章はどうしても不利で、印象が薄くなる感があるのは否めない。それに、両楽章とも終止感が乏しいままに終わるため、腰が据わらない感じもある。しかし、そんな難しい部分こそシェフの腕の見せ所だろう。シェフがどう料理するか、ぜひお楽しみいただきたい。
* * *
各作品の日本初演について紹介しておこう。「真夏の夜の夢」序曲が日本初演されたのは1926(大正15)年6月13日で、近衞秀麿指揮の日本交響楽協会による。日本交響楽協会は山田耕筰が1925年3月に立ち上げたオーケストラで、設立直後には、東京、名古屋、大阪などを巡演した日露交歓交響管弦楽大演奏会にて、ロシア革命から逃げてハルビンにいたロシア人楽士と合同で演奏した(この演奏会は日本人が「ホンモノ」のオーケストラの音に初めて接した機会として知られる)。しかし1926年9月には早くも分裂し、近衞や中心的なメンバーが離脱して新交響楽団を立ち上げた(後に日本交響楽団と名を代えて、現在のNHK交響楽団に至る)。
「オックスフォード」の日本初演は、1928(昭和3)年2月19日の国民交響楽団第1回演奏会でのこと。指揮の小松平五郎は兄が耕輔(作曲)、弟は清(音楽評論、仏文学)で、自身も作曲した。このオーケストラには朝比奈隆(指揮)、清瀬保二(作曲)などが奏者として加わっていた。この年には東京シンフォニー・オーケストラも発足し、ちょうど日本におけるオーケストラ活動が盛り上がりを見せたころにあたる。
「春」はだいぶ遅くてアジア太平洋戦争終結後のことである。1949(昭和24)年3月21・22日の日本交響楽団第305回定期公演(旧新交響楽団、現NHK交響楽団)で、尾高尚忠の指揮による。当日の他のプログラムはストラヴィンスキーの組曲「火の鳥」、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番で、ピアノ独奏は園田高弘。指揮の尾高は作曲家としても活躍し、著名なオーケストラ作品に日本組曲やフルート協奏曲などがある。1951年に過労により急逝。死を惜しむ声が大きかった。長男は惇忠(作曲)、二男は忠明(指揮、新国立劇場オペラ芸術監督)。
* * *
「夏の夜の夢」「オックスフォード」「春」というプログラムは、ひとことで言って、シブイ。玄人好みである。それぞれは超がつく名曲であるが、どれも演奏が難しいし、そのうえ(こう言っちゃ失礼だが)集客の目玉になるような作品でもない。だから、常に集客を考えなければならないプロのオーケストラには、なかなかこんなプログラムを組めまい。本日はこれらの作品をひとつのプログラムとして味わうことのできる貴重な機会である。
「夏の夜の夢」は恋愛・結婚が中心テーマの喜劇だから、それにあわせて書かれた序曲は、クラーラとの恋愛を成功させたシューマンの「春」をメインとするプログラムのオープニングにはもってこいの作品であると言えるだろう。また、「オックスフォード」は、恋愛や結婚とは関係はなさそうだけれども、ハイドンがオックスフォード大学の名誉博士の学位を授与されるに際して演奏しためでたい作品である。
難曲揃いだが、メロスはきっと鮮やかに演奏してくれるだろう。佳曲によるめでたいプログラムをどうぞゆっくりお楽しみください。
酒井健太郎