note
特別演奏会 
 
W. A. モーツァルト/交響曲第41番 ハ長調 K.551 《ジュピター》
I Allegro vivace ハ長調
II Andante cantabile ヘ長調
III Menuetto: Allegretto ハ長調
IV Molto allegro ハ長調

  ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトWolfgang Amadeus Mozartは1756年1月27日にザルツブルクで生まれ、1791年12月5日にウィーンでこの世を去った。5歳の時に初めて作曲して以来、亡くなるまでの30年間、あらゆるジャンルにわたって900以上の作品を残した。
  彼は当時のヨーロッパ人としてはもっとも広い範囲を旅行した部類に属する。パリ、ロンドン、ネーデルランドなどをまわる3年以上にわたる大旅行や、3度のイタリア旅行など、教育熱心な父レーオポルトLeopoldは息子を何度も旅行に連れ出した。そうでもしなければ多様な経験を積むことが難しい時代であった。そのほかに新天地探しを兼ねた演奏旅行もした。1781年に以前からの雇い主であるザルツブルクのコロレード大司教Hieronymus von Colloredoと喧嘩別れしてからは、ウィーンを拠点に定め、ピアノ教師、ピアノ奏者、作曲家として活動した。
  1788年の初夏から夏にかけて、彼は3つの交響曲を相次いで完成させた。6月26日に第39番変ホ長調 K.543、7月25日に第40番ト短調 K.550、8月10日に交響曲第41番ハ長調である(日付はモーツァルト本人が作成した目録による)。亡くなるまでまだ3年以上の猶予があったが、これらは彼の最後の交響曲群になった。
  変ホ長調とト短調の2つの交響曲がロマン主義的で、個的な感情の吐露を聞き取ることができるのに比べると、ハ長調交響曲はむしろ普遍的で、構成は全曲を通じて緊密、がっちりとした建築物を思わせる作品である。そうした性格ゆえ、19世紀にはローマ神話の最高神の名をもらい受け《ユーピテル(ジュピター)》と呼ばれるようになった。名付けたのはヨハン・ペーター・ザロモン Johann Peter Salomon とされる。ザロモンはハイドンをロンドンに招いたことで知られる音楽興行師で、メンデルスゾーンの母レア・ザロモンと親戚関係にあった。
  
  このハ長調交響曲の作曲の目的や初演の日は判明していない。以前は自己の芸術的要求にもとづき書かれ、生前には演奏されなかったというのが定説であったが、最近は、生前に何らかのかたちで演奏されたと考えられている。
  日本初演はいまを遡ること100年ほど、1918(大正7)年11月30日・12月1日の東京音楽学校第35回定期演奏会で、指揮はグスタフ・クローンGustav Kron、会場は東京音楽学校の奏楽堂だった。クローンはドイツ出身のヴァイオリニストで、1913(大正2)年に東京音楽学校の外国人教師として来日し、1925(大正14)年まで東京音楽学校で絃楽、声楽、和声学、作曲、合唱、管絃楽を教えた。彼は在任中にベートーヴェン作品を数多くとりあげ、特に交響曲は6曲を日本初演(「第九」の全曲初演を含む)するなど、前任者アウグスト・ユンケルAugust Junkerと共に東京音楽学校オーケストラの最初期の育成に功績があった。

* * *

  第1楽章、ハ長調の主和音を強く打ち鳴らして音楽が始まる。これに対して柔らかな旋律がこだまする。主和音を基礎とし、半音を用いず、剛と柔を対比させたこの冒頭4小節で、この作品の性格は末尾まで決定づけられる。これが第1主題。第2主題はなめらかさと付点のリズムを対比させたもので、むしろ半音が効果的に用いられる。形式的にはソナタであるがそれに縛られず、展開部では転調を重ねて深みを増す。トランペットとティンパニが音楽を引き締め、饒舌でも散漫にはならない。
  第2楽章は文字通りカンタービレ。情感豊かだが迸るのではなく、客観性を失わない。どことなく悟りの境地にあることを感じさせる。
  第3楽章はなだらかな下降音型を主題とするメヌエット。徐々に高揚するが、飛んでいってしまわぬよう、随所に楔が打たれる。トリオでは少し深刻になってソ#−ラ−ド−シという大きなフレーズがうたわれる。これは終楽章の冒頭のジュピター音型を先取りしたもの。
  第4楽章、冒頭からド−レ−ファ−ミというジュピター音型が奏される。この音型は古くから多くの作曲家が用いてきたもので、モーツァルトの場合、彼の最初の交響曲(1764-65年にロンドンで書かれた変ホ長調 K.16)の第2楽章で、ホルンの和声的な旋律に用いられている。この第4楽章では、随所にジュピター音型があらわれて、楽章全体の基調をなす。展開部では壮麗な対位法が繰り広げられ、音楽は目まぐるしく変化する。言ってみれば「モオツァルトのうれしさは噴出する」のだが、ここではまだ勝手な爆発は許されない。ぐっとこらえる。コーダに入ると二重フーガが始まる。音楽が複雑に絡まりあい、あちらこちらで欣喜雀躍が起こり、いよいよ極まって一体となって昇華する。圧巻というほかない。

W. A. モーツァルト/《レクイエム》 ニ短調 K.626
Introitus 入祭唱 Adagio ニ短調
Kyrie キリエ Allegro ニ短調
Sequentia 続唱
     Dies irae 怒りの日 Allegro assai ニ短調
     Tuba mirum 不思議なるラッパの響き Andante 変ロ長調
     Rex tremendae 恐るべき大王 ト短調
     Recordare 思い出したまえ ヘ長調
     Confutatis 呪われし者ども Andante イ短調
     Lacrimosa 涙の日 ニ短調
Offertorium 奉献唱
     Domine Jesu 主イエス・キリスト Andante con motoト短調
     Hostias 賛美のいけにえ Andante 変ホ長調
Sanctus 聖なるかな Adagio ニ長調
Benedictus 祝むべきかな Andante 変ロ長調
Agnus Dei 神羊誦 ニ短調
Communio 聖体拝領唱 Adagio ニ短調

  本稿執筆にあたり映画《アマデウス》を観返した。ピーター・シェーファー Peter Shaffer(つい先ごろ死去した)の戯曲を原作とする、ミロス・フォアマン Milo? Forman 監督作品で、日本公開は1985(昭和60)年である。アカデミー賞8部門のほか、数多くの映画賞を受賞した名作だけあって、たいへんにおもしろかった。
  [ネタバレ注意]素晴らしいシーンはいくつもあるが、ラストシーンは特にいい。死の床にあるモーツァルトが、サリエリに《レクイエム》の譜を口述筆記させる。サリエリAntonio Salieriはウィーンの宮廷楽長で、モーツァルトより地位は上である。しかしこのシーンでは立場が逆転し、神に愛された男モーツァルトを通して降りてくる天上の音楽を、神を愛する男サリエリが神の託宣として楽譜に書き取る。いままさに天に召されんとするモーツァルトに媒介されて神と交信するサリエリの表情には、倒錯的快感の色がさす。・・・ただしこれはフィクションで、実際にサリエリがモーツァルトのレクイエムにタッチした形跡はない。[ネタバレ以上]
  実際のところ、モーツァルトにできたのは、Introitus を完成させることと、Kyrie からOffertorium までの一部分を書き遺すことであったらしい。未完の部分はモーツァルトの死後、ヨーゼフ・レーオポルト・アイブラー Joseph Leopold Eybler の手を経てフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤー Franz Xaver Susmayr が補筆・完成させた。
  そもそもこの作品の依頼者は匿名であった。それが亡き妻に自作のレクイエムを捧げたいと考えたフランツ・フォン・ヴァルゼック Franz von Walsegg 伯爵であったと判明したのは、1800年のことだった。依頼主が提示した謝礼は破格で、生前のモーツァルトはその半額を前金として受け取ってしまっていた。未亡人コンスタンツェConstanzeは貧窮していて、それを返すあてはなかった。かくなる上は、作品を完成させて謝礼の残りを受け取ろうと考えるのは、自然の成り行きだっただろう。彼女はそれを秘密裏に成し遂げた。そんな事情から《レクイエム》完成までの経緯には不明のことが多い。
  補筆のかなりの部分を担当したとされるジュースマイヤーが、モーツァルトの構想をどの程度伝えられていたか、あるいはモーツァルトが残した音符から汲み取ることができたかわからない。構想を把握していたとしても、それを音符に置き換えるには相応の能力が必要である。それがジュースマイヤーに備わっていたか、それもわからない。この作品のどこからどこまでがモーツァルトの音楽であるか、もはや判然としないのである。
  「クラシック音楽」の世界では、特に作者が誰であるかが重視され、それゆえに作品は「誰々が作曲した何々」という形式で識別される。このやり方によると、この作品は「モーツァルトの着想をもとに、モーツァルトとその他の数名が完成させたレクイエム」というように定義されることになり、作者−作品の関係の純粋性において劣ることになる。だが、もちろんわれわれは狭い世界のそんな偏屈なルールに惑わされる必要はない。200年以上も前にウィーンにいた幾人かの人が作り上げた楽譜が、「いま、ここ」で音として再現される。それをそれぞれの仕方で受け止めれば(音楽として聴けば)よいのである。

  この作品(全曲)は1793年1月2日にウィーンで初演されたとみられる。この演奏会はどうやらコンスタンツェが手配したものだったらしい。注文主ヴァルゼック伯爵が作曲した《レクイエム》としては、同年12月14日、伯爵の指揮により妻アンナ追悼のために演奏され、翌年2月14日(アンナの三回忌)に再び演奏されて以降、三度演奏されることはなかった。
  日本初演は90年前のこと。1926(大正15)年12月11・12日に開かれた東京音楽学校第51回定期演奏会で、指揮はシャーレス・ラウトルップ Charles Lautrup、独唱は長坂好子(S)、齋藤英子(A)、澤崎定之(T)、阿部英雄(Bs)、会場は東京音楽学校奏楽堂であった。このときは《魔笛》序曲、《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》、《レクイエム》のモーツァルト・プログラムで、おそらくモーツァルトの生誕170年を記念する意味合いがあったのだろう。
  ラウトルップはデンマーク出身の指揮者で、クローンの後任として1926年1月に来日し、1931(昭和6)年まで管弦楽、合唱、唱歌を教えた。古典作品を中心にオーケストラの基礎を鍛えたほか、管弦楽付の独唱・合唱の大曲を多くとりあげた。後任のクラウス・プリングスハイム Klaus Pringsheim は、その師マーラーの交響曲5曲を東京音楽学校で日本初演したが、その土台を用意したのがラウトルップであったと言えよう。

* * *

Introitus
  重たい足を引きずるような弦楽器、バセットホルンとファゴットは沈痛な面持ち。ファゴットのレ−ド#−レ−ミ−ファという半音を含む旋律はレクイエム主題と呼ばれ、全曲にわたって影響を与えつづける。続いて合唱が低い方からレクイエム主題を重ねる。et lux perpetua での長調への転調が胸を刺す。ソプラノ独唱を経て合唱に戻り、フガートを経てKyrie にアタッカでつながる。

Kyrie
  Kyrie eleison をうたうバロック風な音型と、Christe eleison を歌うレクイエム主題の影響を受けた半音上昇を含む旋律により、壮大な二重フーガが展開される。

Dies irae
  怒りの日に対する恐れと慄きが、決然としたホモフォニーによりうたわれる。バスはレクイエム主題をなぞる。Quantus tremor estに突入する転調が印象的。弦楽器の無窮動は止まぬ震えだろうか。

Tuba mirum
  前曲の厳しさとは打って変わって、精妙な音の世界が展開される。最初はトロンボーンとバス独唱の対話。次いでテノール、アルト、ソプラノへ受け継がれ四重唱へ。ソット・ヴォーチェで重ね合わされるCum vix justus には、父の慈愛が感じられる。

Rex tremendae
  恐るべき大王をうたう厳しい音楽だが、salva me に至り一転して悲痛な訴えになる。

Recordare
  歌詞のとおり優しい音楽が奏でられる。息の長い旋律の重なり合いもさることながら、短いフレーズの対話もまた美しい。

Confutatis
  呪いと煉獄の音楽が男声により、救いを求める音楽が女声により、交互にうたわれる。ついで4声は半音と不協和音が交錯するなかで合体する。まさに劇的である。アタッカで次へ。

Lacrimosa
  跳躍を含む緊張感ある旋律が、天までとどかんばかりの息の長い上昇と、地を這うかのような下降(ここにもレクイエム主題がみられる)を挟み込む。モーツァルトは末尾に壮大なアーメン・フーガを構想していたらしいが、それは実現しなかった。あっさりとしたアーメンが却って涙を誘う。

Domine Jesu
  疾走感のある弦楽器にのって比較的短いフレーズが繰り返されて始まり、独唱のフガートが導かれる。繰り返され跳躍は地獄の深淵をあらわす。Quam olim Abrahae promisisti で再びフガートが形成される。

Hostias
  厳しいポリフォニーの前曲と打って変わって、長調で安らかなホモフォニーが奏でられる。最後に前曲で用いられたアブラハムのフガートが再現する。

Sanctus
  合唱が高らかに栄光をうたう。Hosanna(救いたまえ)以降はフーガとなる。

Benedictus
  主の御名において来る者への祝福が独唱により優しくうたいあげられ、ドルチェで静かに終わる。Hosanna からは前曲と同一のフーガで締めくくられる。

Agnus Dei
  死者の永久の安息が厳粛に、そして少し不安げに祈られる。その旋律は明らかにレクイエム主題に関係したもの。アタッカで最終曲へ。

Communio
  全曲の冒頭Introitus のソプラノ独唱の手前から最後までと、それに続くKyrie の音楽が回帰し、それにCommunio の歌詞があてはめられる。最初と最後に同じ音楽がおかれることで、全体に統一感がもたらされる。

 ・・・これにて終演。なんと名残惜しい。

酒井健太郎
 
<<  前へ  |  プログラムノートへ戻る

トップページ  |  お問い合わせ
Copyright © 2013 Melos Philharmonie. All rights reserved.