第3回演奏会 
 
J.S. バッハ/
 ヴァイオリンとオーボエの為の協奏曲
 ニ短調 BWV.1060R


この曲の解説は、私でなく考古学を専門とする(音楽関係者かは問わず)人に書いてもらうと本当に面白いと思います。 
私と同じくバッハを人並み位に聴いている多くの人にとっては、2台のチェンバロの為の協奏曲として名高いこの曲ですが、メンデルスゾーンが発掘するまで埋もれていた作曲家というバッハのエピソードを裏付ける要素に溢れる曲です。
バッハ自身が作曲した事が確認できる最古の楽譜は、娘婿が写譜したもので、2つの独奏楽器(不特定)の為の曲(二短調と思われる)が確認されています。一方、バッハ自身がこの曲を市民アンサンブル団体用に編曲したとされるのが今日に伝えられる2台のチェンバロの為の協奏曲ハ短調。つまり、大バッハ自身がオリジナルで書いた曲は、原譜が失われた今日にあって、皆目謎なのです。そこで1920年代にいくつか編曲版が試みられ、2つのヴァイオリンの為の協奏曲ニ短調と、ヴァイオリンとオーボエの為の協奏曲ハ短調の2つが有名なものですが、見ての通り調性にすら定説がないわけです。

こういう場合どうしたらいいんでしょうか。簡単です。

『好きなものを聴こう』

バッハを一言で著すことなどは無理であることは解っていますが、パトグラフィー(過去の人物の精神病理を研究する分野)の定説では、精神的に全く健常な天才の希な例であるとされます。健康な精神で、仕事に・家庭に・信仰に・作曲に・出世に・名誉に・自らを捧げた、常に現実を分析し適応し続けた人物といわれています。
その精神に触れるために、オリジナルの楽器は何だった解らなければ演奏できない等という議論は、無意味であると思えるのです。バッハが楽器の指定をあまり好まなかったのは、あの天才であれば、楽器とは常に進歩するものであるという簡単なことなど当然解っていたでしょうし、逆にむしろどのような楽器を用いても自分の作品は変わらない価値を持つことを誰よりも理解していたためだと思うのです。チェンバロも典雅。ヴァイオリンも流麗。オーボエも繊細。オルガンでも荘厳。シンセサイザーを上手く使えば神秘的かつ宇宙的。(すいません。バッハ先生)
そこで、第2楽章の2つのソロの掛け合いの美しいレガートな音楽を楽しんでいただくため、オーボエとヴァイオリンを独奏とした、二短調メニューが今日のオススメです。お召し上がりあれ。
W.A. モーツァルト/
 交響曲第39番 変ホ長調 K.543


モーツァルトの後期3大交響曲の初めを飾るこの曲。他の2曲と同じく、彼自身はこの曲について何の発現も残しておらず、かくて、再び様々な人が色々な評価をしています。この曲をある人は、白鳥の歌(辞世の句に近い意味)になぞらえ、事に2楽章を死を予感しつつも賛美する作曲者の手紙の音楽的表現であるなどとしています。何とも重いテーマの曲に思えますが、この曲を完成した翌日には、他ならぬモーツァルト自身が、「お願いだからもっとお金を貸しておくんなまし」と借金追加の虫のいい手紙を書いていたりするわけです。そういう類のお話は、博識な評論家先生にお任せして、メロスの解説にふさわしい(?)お話をしましょう。

この曲の変ホ長調とは、どのような性格の調なのでしょうか。
この調を使った名曲といえば、ベートーヴェンの英雄交響曲、皇帝協奏曲、シューマンの第3交響曲(ライン)、ブルックナーの第4交響曲(ロマンティック)、シベリウスの第5交響曲、マーラーの第8交響曲(千人の交響曲)の終結部、など。いずれも雄姿、雄大さ、自然賛歌、はては大宇宙の振動する姿など、これらがスケールの大きな何かを想像させる曲であることを否定する人は少ないでしょう。これは、何処に由来しているのでしょうか。
単に管楽器が良く鳴る調だというクールな意見から、バッハの最後のオルガン曲集の変ホ長調フーガ BWV. 552(変ホ長調のフラット記号3つ、3声部、3部構成で三位一体フーガと呼ばれ宗教上特別視された)が始まりであるというファンタジー溢れる説まで様々ですが、実の所は解りません。

モーツァルトはまさに堂々たる変ホ長調和音で勇壮かつ優雅な第1楽章の序奏を開始します。交響曲が現在に比べるとスケールが小さいのが当然であった当時としては、この曲はむしろ現在のマーラーに匹敵するような重厚な曲だったと考えられるでしょう。明暗の対照的な第2楽章(変イ長調−ヘ短調)を経て、再び変ホ長調にもどって力強い第3楽章。自然と壮大なフィナーレが第4楽章かと思うと・・・。確かにスケールは小さくないけれど、当時の古い形式通りのロンド舞曲のような、発展するソナタ形式のような・・・と思えばそっけない幕切れ。(そう思いませんか。)

私はこの曲を聴くともう一つの逸話をを思い出します。ショスタコーヴィチが第9交響曲を書くに際して、当局からベートーヴェンの第9に匹敵する曲をと打診され、作った曲はハイドンのような小くて軽くて人を小馬鹿にしたような、たくさんのパロディーがちりばめられた交響曲。この曲を彼はまさに変ホ長調を用いて他の曲と変わらない大編成で作曲したのです。その違和感と面白さ。

かのハイドンも1788年以前にはこのような変ホ長調のスケール感を意識していないように思われる(少なくとも交響曲において)所を見ると、その後150年間の変ホ長調交響曲の成りゆき、つまりねらったときのスケール感と外したときのおかしさが早くもこの変ホ長調大交響曲に示されていると思う・・・のは少々考え過ぎでしょうか。
F. シューベルト/
 交響曲第5番 変ロ長調 D.485


さて、難曲です。確かに演奏するのも難しいのですが、解説を書くのがこれまた難しい。そしてさらに、コンサートにおいて何曲目に演奏するのが適当かがさらに難しい。なぜならば、一言でいえばどうってことない曲だからです。
数少ない特記事項としては、彼がベートーヴェンの第2番交響曲とならんで好きだったモーツァルトの40番を意識したのか、ト短調を第3楽章Menuetto に採用した事と、第1楽章に序奏がない事や前記の2巨匠の影響を極力排除して自分の音楽を指向している点で、後の未完成交響曲への類似が認められることでしょうか。

この曲が生まれた時点で、かのベートーヴェンは第8番までの革新的な交響曲を書き上げており、シューベルトもそれにならって運命交響曲と同じ調性(ハ短調)の第4番を書き上げている。そして、次に出来た曲はといえば、このハイドンの初期交響曲の編成の(トランペット、ティンパニさらにクラリネットすら欠いた)小さなこの曲。とりたてて新しい試みもなく、作曲家自ら語った興味深い話もなく、後の作曲家に影響を与えたわけでもなさそうである。では、何故演奏するのですかと尋ねられたなら、きっと世界中の指揮者とオーケストラはこう答えるに違いありません。そうはいっても、この曲好きなんですよ。他に代わりになる曲がありますかね。シューベルトらしい何だかいい曲ではないですか。

時代を超えて愛される名曲の条件とは、音楽の専門家に評価され、かつ多くの大衆に支持される両方の要素を持っている。と誰かが言ったそうです。なるほどこの曲は、まさに多くの人が好んでいるが故に語り継がれた曲のように思えるのです。

私がそういっても感情論は説得力に乏しいので、ある音楽家の力を借りましょう。
今回のプログラムを見て真っ先に私の頭に浮かんだ人物、グレン・グールド(カナダ出身のピアニスト)です。彼は、多くの方がご存じの通り、バッハ演奏にかけて今世紀の数人に入るでしょう。彼が心底から崇拝した作曲家は、バッハ、リヒャルト=シュトラウス、シェーンベルクの3人であり、彼の手に掛かるとモーツアルトはただの音並べ職人であるし、ベートーヴェンの鈍い旋律感覚と鋭すぎる論理的展開のアンバランスさ曖昧さは嫌悪に値するそうなのです(数少ない評価できる作品は、面白いことにベートーヴェンの第2交響曲だそうです)。

シューベルトに至っては、彼の書物に名前すら出てきません。批判する対象ですらない、ということでしょうか。グールドは、一時指揮活動に興味を抱き、実際に幾つかのコンサートを行っていました。彼の手記に、理想のコンサートの演目が何種類か載っていたそうです。その中に、上記の3人、ワーグナー等の曲に並んで、このシューベルトの5番交響曲が挙げられています。また、テレビのドキュメンタリー番組の中で、この曲の1楽章の主題をピアノで弾きながら、これこそ内向的な音楽というものだね。と語っていたのが印象的でした。
それだけを見て彼がその音楽をどう評価しているかは解りませんが、彼の理想のコンサートには欠かせない、気になる一曲であった事は間違いない。確かに彼の解釈や批評はかなり特殊なもので、我々一般人には理解しがたい面も多いのですが、その人物をしてもこの曲のには情緒的で理論では説明できない何かがあった。そう、単純に考えましょう。

特別なものはない。ただいいから好きなんだ。天才音楽家も我々一般人でも、そんな音楽のもつ不思議で魅力的なことには変わりがない。

今日のこの小曲がモーツァルトの変ホ長調大交響曲を押しのけてメインプログラムとなった演奏会を、グールド以上に皆さんが気に入ってもらえるよう祈りつつ。

大ピアニスト没後15周年のある一日に・・・

(傍らの隠居待ち)
 
 
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