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第7回演奏会 |
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- W.A. モーツァルト/
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲 K.527
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1786年、貴族社会への風刺から、ウィーンで不評というより無視された歌劇『フィガロの結婚』がプラハにて大成功を収めると、モーツァルトは1787年1月、<フィガロの音楽以外は見向きもされない>街、プラハを訪れ、民衆の歓迎と秋から上演の新作の要請を受け、また、4月にはダ・ポンテから台本を受けて夏の間に一気に書き上げ10月29日に初演されたのがこの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』であり、殊にこの序曲は真偽のほどは不明ながら、婦人の話によると僅か一晩、しかも2時間ほどで書かれたという伝説があり、作曲者の神童ぶりを示すエピソードとしてよく引用されます。ゲーテなど名だたる思想家達を感嘆せしめた作品であり、作曲中の父親の死が作品に与えた影響なども市井の解説書などによく書かれているところです。
演奏会序曲としてのオペラ音楽にオペラ解説はいらないという理屈もありますが、今回はある意図をもって、さわりだけ述べておきましょう。つまりドン・ジョヴァンニとは、ドン・ファンといったほうが日本では通りの良いスペインの伝説上の女性誘惑者であり、彼が娘を得るために排除することとなったある父親の石像により、結局、彼までも命を落とすという当時流行の戯曲を元にした台本への音楽なのです。
当然、音楽も深刻な悲劇性と男女の問題という軽やかさの間を往来するわけですが、序曲では悲劇の描写であるニ短調の序奏から、どこまでも自然で軽やかな作曲者のオペラブッファ序曲に驚くほど見事に場面転換することになります。
ここで、演奏会全体としてみると驚くべきことは、この演奏会の曲目が作曲年代順に演奏されているということです。ハイドンというとモーツァルトよりも24歳年上であり、古典派の巨匠として古い作曲家のイメージがあると思いますが、実はこのオペラは、次に演奏されるハイドンの交響曲第101番よりも、6年も前の作品だということに、ハイドンの古さよりも神童の先進性にわれわれはより驚かされるのです。
- F.J. ハイドン/
交響曲第101番 ニ長調 「時計」 Hob.I-101
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“パパ”ハイドンが2度目のロンドン訪問に向けてのお土産として作曲したこの曲は、1793年に100番交響曲と同時期にウィーンで着手され、初演はこちらのほうが早いことから先に完成されたらしい。『時計』という命名は作曲者自身のものではないが、1798年にはこの名称での楽譜出版が確認されており、早期からこの呼び名が通っていたことが想像される。第2回演奏会で取り上げた『V字』などと比べればまだ、音楽の内容と題名との関連性があり、一般の解説書にみられるとおり第2楽章(ト長調)の伴奏リズムから来たものという説が有力である。
なるほど、古典音楽の華として後世に行き渡る優れた形式を生み出した偉大なる父親。このパパの出来の良い二人の子は、「完成を見たソナタ形式」と「交響曲というスタイル」であることになっているようです。考えてみると、あるメディアを生み出す才能は、そのメディアを使って成功作品を生み出した才能に比べて、いつの世にも評価が低いのかもしれません。文字にはじまり音楽、映画、インターネットまでというと大袈裟でしょうか。パパが生み出した形式を使って開花した才能こそが次のベートーヴェンであり、この解説でも良く使う楽聖などと呼ばれているのも一つのわかり易い例とも考えられます。勿論、他方でいかに優れたシステムであっても、適切な発展者が無い限りにおいてそのシステムは廃れてしまうのだから(昔ヴィデオのβを使っていた人には特に良くわかってもらえるでしょうけど)、楽聖がいてパパがいるという論理も成立するのでしょうけれど。 パパという呼び名は、そういう意味で使われることに納得できない人は少ないでしょうが、もう一つの側面はどうかと考えてみたいのです。つまりハイドンの音楽そのものがパパ的なのではないかと。
皆さんは大人の音楽といわれると誰をイメージするでしょうか。R.シュトラウスあたりはまさに大人の情景の描写に成功してますが、そのような意味ではなく、プロの大人の芸としての作品を、人に求められ、それに余すところ無く答えた曲を作りつづけた人。そこには、人間国宝の職人にも似た大人のパパ気質を感じられないでしょうか。
神童をはじめとした新しい音楽の旗手とも友好を結びながら、自らの創り出す音楽に対し確信をもち、多くの曲という子供達を世に送り出した。とすれば、これほど成功したパパは珍しいのではないでしょうか。しかも、その子供達たるや、まったく同じ顔のように見えても、なかなか個性が強く、テレマンやヴィヴァルディらの沢山の協奏曲と同じような扱いはうけていないのです。
パパはあまりにも多くの作品を残したものだから、楽聖以降の作曲家のように調性や作品番号での区別が困難であり、例えば出版社などから見れば、名前でもつけて識別しないと間違いの元だ。ぼくはハイドンの曲のタイトルには、むしろこのような背景が存在していると思うので、あくまでニックネームやら、あるいは暴論で良ければ高島礼子の旦那なんてのと同じレベルの問題として考えるわけですが、この時計というニックネームはパパの子どもに与えた個性の中心にある陽気ないたずら心を理解する意味で、悪くない命名だと思います。どこで起こるとは申しませんが、起きては困ることが起こったという吉本新喜劇的定番の笑いのツボをいい当てていると思うからです。
この命名以外にもこの曲の不自然なところはあちこちにありますので、みなさんがその不自然さを面白く感じれば、きっと天国のパパは満足なのではないでしょうか。
ヒントですか・・・。僕が気付いている以外にも沢山あるのでしょうけど、この曲は展開のバランスが変なんですよね。妙に音楽が疎だったり密だったり、ホルンの音がオクターブ高くないかとか管楽器が多すぎるんで伴奏がうるさすぎるような、よくできたメヌエットに手抜きのトリオに思えたり、終結に向けてフーガが堂々と開始されるかとおもいきやしぼんでしまったり、神童の自然な音の流れと比べると、なんだかなぁってな印象もありますが、ただ言えることは、これはパパの作曲が下手なのではなく、確信を持って楽しめる音楽を創っているためであることに疑問を持つ人はいないでしょう。それどころかこの曲は専門科の楽曲分析上は、曲の全体の設計と内容の確かさにおいてハイドンの最高峰という評価だそうですから。とすれば、パパはこんな聞き方でも許してくれるでしょうか。例えば、皆さんだったらこの曲にどのようなニックネームをつけますか?
- L.v. ベートーヴェン/
交響曲第1番 ハ長調 op.21
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1800年に足掛け2年を費やして完成された彼の最初の交響曲は、もう30歳を目前とした作曲も手がける新進気鋭の異才ピアニストが世に送った問題作。さて、当時のモーツアルト没後のリバイバルブームに湧いた音楽界において、若きというよりは中堅のルードヴィヒがこの曲を書くことで何を世に訴えようと欲したのでしょうか。それは、以下の分析によりこれこれしかじか推定される。
このようなことは、様々な解説者・音楽家諸氏の百万言がありそうですので、そちらにお任せしましょう。
成書に記述されている点でこの曲に関しまず発するべき疑問、それは、この曲は果たして楽聖の交響曲入門、ないしは習作なのであろうか。ということに尽きるのではないかというのが本日の出発であり帰結であります。
ときに判り難いといわれる本解説、「結論としては絶対にNoである」ということはまず、表明しておくべきでしょう。根拠はといえば、私めなどよりもワインガルトナー先生や、はてはストラヴィンスキー御大に至るまで様々な証言がありますので、論理はそちらにお任せですが、わかりやすく言えば、ブラームスが40代に至るまで彼の第1交響曲を完成することが出来なかった理由に、「ブラームスは楽聖の第10交響曲を意識した」という記述がなされることが散見されますが、これが「第1交響曲」の誤りだろうとかなりの確信を持って考えるからです。 この曲は今日のプログラム前半を飾るパパや神童の影響をまだ強く受けており、楽聖独自の世界に至っていないだの、クラリネットの使い方が下手だの、展開が後期の曲に比して短い弱いだのという、なかなか説得力に溢れた理由で、習作的作品のように扱う記述にもお目にかかりますが、それで証明終わりでよいのでしょうか。
この曲の主調であるハ(長)調は、ある意味で基本の調でありあまり特定の色付けの出来る調ではありません。ただ、あまりにも基本の調であるためか、ビゼー、ストラヴィンスキーなどの習作的交響曲に使われたという実績もあり、上記のような根拠のひとつとなってしまってないかが気になるところです。
個人的意見で恐縮ですが、しかし上記のような根拠はむしろ私のような屁理屈屋には逆の意味にもとれるように思えるのです。ここはひとつ今までの楽聖像から離れ、パパのような大人の考え方のできるベートーヴェンをイメージして、考えてみましょう。
例えばクラリネットの使い方ですが、果たして当時のクラリネットは今と同様の響きを当時既に確定していたのでしょうか、断じて否。それは当時の最新楽器であり、他の木管金管楽器の古さとは別の新種ならではの調節の難しさがあったはずでしょう。実際、神童は特定のクラリネット名手の演奏にのみ価値を見出していたのは有名ですし、パパは時計と同時期に書いた軍隊交響曲においては2楽章のみにクラリネットを登場させており、オーケストラのなかにクラリネットを入れること自体を愉快なハプニングとしているようにも思われるくらいです。わかりやすくいえば、現代の作曲家が標準的な編成の交響曲を書く際にクラリネットのかわりにサキソフォンを入れたらどう響くか。もちろん我々にはラヴェルのボレロのような解答が既にあるにしても、なにかわくわくするじゃないですか。当時の演奏者のレベルに合わせた作曲であるというハイドン的な思惑の可能性が果たしてないと言えるのか。
展開の規模なんぞは、当時は「曲が長すぎる!」という批評がまかり通った時代であり、かの英雄交響曲もその毒牙から逃れられなかった時代の作品です。何をか言わんやですよね。
最後に調性と先人の影響について、たとえば、こう考えてみるとどうでしょう。
最初に触れた楽聖の当時の肩書きは「異才ピアニスト」でした。当時、彼はなみいる名人・巨匠ピアニストと即興演奏で勝負し、圧倒的存在感で認められた存在だったことは有名です。そんな彼が、交響曲をものするに際して勝負した相手は、ハイドンでありモーツァルトであったとしたら・・・。
1楽章導入部の斬新な調性や主部の41番交響曲第1楽章に似た主題動機、第2楽章はやはり40番ト短調交響曲同楽章を思わせる滑り出し、第3楽章はメヌエットとは名ばかりのスケルツォに始まり、トリオでは数十分前に耳にしたパパのトリオと非常に似た構造(弦と管が逆ですが)にして、何と異なる印象か。そして第4楽章たるや、冒頭の上昇音階を印象づけたうえで、下降音階の主題とからませて堂々たる終結に向かう様は、ジュピター主題(上昇音階)と下降音階動機のフーガで締めくくられるかのジュピター交響曲終楽章の裏(数学的定義っぽいですが)の構造をしている。
これらのことが、全く偶然に発生した類似性や対称性であるならば、むしろ私の専門に近い意味で非常に興味深い出来事なのですが、むしろこの曲がジュピター交響曲(など)を鋳型とした、モーツァルトやハイドン師匠への挑戦状そのものであることのほうが確率的にありえそうな気すらしませんか(「なるほどそう思う」という人はしかし、洗脳されやすさに要注意かもしれませんぞ)。
<ベートーヴェンを特定の世界観から開放し、彼の残した音そのものに客観的に接することが出来る歳になり、彼が文句無く楽器使いの君主であることを見出した。彼はピアノ音楽を作曲するがピアノのための音楽を作曲しない。>と、かのストラヴィンスキーは述べています(相当意訳をしておりますが)。その管弦楽という楽器の最上の使い手としての楽聖を知るために第1番交響曲では早過ぎるのでしょうか。決してそうではない、しかも、この時期にはまだ彼の耳がなんとか機能しているではないか、とは考えられないでしょうか。
なんだってこんな解説を書くかといえば、今日のプログラムは、大人こそが楽しめるプログラムだと考えたためです。なぜかわれわれが演奏会に行くに際してなかなか捨てることのできない音楽による癒しやカタルシスは序曲の神童の作品で洗い流して、大きなアンサンブルとしてパパや楽聖の作品の音符そのものを楽しめるよう、会場の一メロスファンとして僕自身気をつけなければと自分に言い聞かせているからなのです。さて、皆さん、パパの音楽は楽しめましたでしょうか、楽聖の挑戦状はジュピターと互角の勝負を演じるでしょうか。そして改めて神童の天才(かのゲーテはそれをデモーニッシュ・魔神的と表しましたが)にうたれるでしょうか。全ては前提となる解釈ではなく音符の中にあります。
(薪傍ご隠居)
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