時は1802年。ベートーヴェンは第二の交響曲の筆を進め、夏にハイリゲンシュタットに赴く。そこで書かれたいわゆる「ハイリゲンシュタットの遺書」には、次の英雄交響曲を生み出す楽聖が難聴の進行と戦う葛藤が表現され興味深い。そのような中で書かれ、1803年に初演された第二交響曲はむしろ、若き楽聖を癒したジュリエッタとの恋愛感情の明るさに終始する。・・・こんな感じの市井の解説の焼き直しを本日の演奏会用に行うのはさすがに気が引けますし、最近はこんな論調は少数派であることを祈ります。
ところで、各曲単位でなく演奏会全体のテーマ性にこだわるメロスの演奏履歴の中でも、本日のプログラムは極めて優れた、また稀有なものでありましょう。なぜなら今日のようなプログラムをもってはじめて、ベルリオーズ、シューベルト、メンデルスゾーンなど数多のプロ中のプロが愛好したこのニ長調交響曲というルートヴィヒの傑作を、「英雄」や「運命」の前菜ではなく、メイン・ディッシュとして楽しめるのです。さらに強弁すれば、このプログラムは、神童の舞曲が様々なアレンジで街を彩る1803年のウィーンにみなさんを誘い、あたかも我々が、傑出した才能を発揮して人気急上昇中だが、北ドイツから上京してきてまだ野暮ったさの残る、そして、愛想が良くてほっぺの赤い32歳のルートヴィヒ(言いすぎかな)が、ピアニスト兼純音楽作家として肩に力を入れまくって完成させたプログラムの初演に立ち会えるかのように聞けるプログラムなのです。このような演奏会は現在そうはないでしょう。
さて、1802-3から200年を経たこの2002-3年。2時の親である私にとって音楽界のトピックといえば、『大きな古時計』との再会でした。この邦訳には3番まで詞がありますが、実は元歌である Henry Clay Work の原詞には4番まであり、邦訳はその3番を省略したものであることはご存知でしたか。そしてそれはなにゆえに?TV放送には長いなどという脱力するような理由なのかなと思う一方、この省略には訳者の意図が反映されているといった可能性も否定はできません。原詞の3番を意訳すると、「♪お爺さんの口癖思い出す、時計のように誠実に」と始まります。原詞は、2番、3番と深く読むと、「おそらくはたらきものだったろう奥さんへの頑固なじいさんの最大限の愛情」が読み取れる素晴しい詩なのですが、その反面、子供へのお小言、教育臭がどうしてもぬぐえないのです。Work の原詞の価値の高さに疑問はなくとも、子供の歌として、またあのメロディーへの歌詞として私をはじめ多くの人が、保富康午氏の訳詞のほうがいいと素直に言える。こんな例は他にあまりないですよね。
せっかくの今日のプログラム。説教くさいベートーヴェンの初期作品として消費されてきたこの2曲を、若く可能性に満ちたルートヴィヒのデビューを見守る1803年の観客のひとりとなって聞いてみませんか。とご提案したい。これが、今日の解説のすべてであります。専門家の楽曲分析でも評価の高いこの2曲。特にニ長調交響曲は、あまりにも構成がうまく出来ていて、欠点のない分個性的魅力もない。という美人過ぎて口説けない式の批評もあるようですが、この曲を最高作とあげる一流作曲家も珍しくないすばらしい作品であり、さきにあげた批評家の妄言など取り上げる価値もないでしょう(だいたい遺書などと誰が認定したんでしょうね)。1803年以降ルートヴィヒは孤高の偉大なる音楽家への道を進み、今日我々の知る存在へと向かうわけですが、果たして別の道はなかったのかどうか。様々な音楽家の初期ベートーヴェン礼賛を読み、このような曲に接するとあるいはこの作曲家には別の名作の森もあったのではないか、たとえば、我々が「保富の大きな古時計」に感じるような存在感をもつ。もし彼が我々の友人や子供だったならば、そういう人生を歩んでほしいと思いますよね。
楽聖の名作にも引けを取らないすばらしい創造物を残して天国に昇られた保富康午氏は、もしご存命であれば本日が73歳の誕生日になります。
(薪傍ご隠居)