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第10回演奏会 
 
W.A. モーツァルト/
 歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」序曲 K.588

それらの旧友の女嫌いの人発言に立腹した、哲学者ドン、アフォンソ、FerrandoおよびGuglielmoは、彼がそれぞれの恋人のアラビア不死鳥に例えられる厳守をテストするように設計したゲームの結果に賭け金を置くことに合意します。2人の若者は、アフォンソの指示に従うことに合意します:それらは、アルバニア語(自暴自棄の姉妹の支持を勝ち取るのに熱望している)として変装されて、数時間後に返ります。若い女性は、憤慨した防御を上げますが、やがて新種の進歩に産出しています。共謀者は、それらが犠牲と同じくらい敏感であることを知って、狼狽します。出来事は二組同時の結婚式で最高潮に達します。また、4人の恋人はみな、誰も愛の秘密矛盾から免除されていないことを発見します。

このオペラの権威ある英語解説も自動翻訳機ではこの体たらくです。解説者のおつむは大丈夫ですのでご安心を(問題は多少ありそうですが)。しかしこれ、訳知りの方々には結構面白いですよね。178x年のある日、ヨーゼフII世がフィガロの結婚の観覧後に言ったという、劇中の「Cosi fan tutte.」という台詞を題材にしたオペラを見たい、などという老権力者の暗愚なる発言から我らが神童アマデウスとダ・ポンテのチームが書き下ろした、荒唐無稽のしかしオペラブッファの粋を集めたこの曲には、正確に記述すると健全な児童育成と女性権利上の問題噴出必至ゆえに、上記の解説が結構あっていると思うのは気の回しすぎでしょうか。上演が軌道に乗るや当の権力者の死とともに失われる本作、神童の失望はいかばかりでしたでしょう。さて、鋭い方は何故題名を訳さないのか。と思われるでしょう。それが、この作品のある意味最大の難物なのです。かつては《女はみなこうしたもの》なる直訳が流布しましたが、最近見かけません。 「Cosi fan tutte.」なる伊太利亜古文の翻訳に、仕方ないので才能ゼロの私が挑んでみませう。現語では「Tutte fanno cosi'.」英直訳すると、「全女性がそうするよ(男と同じでね)。」というニュアンスのある、「All (women) do therefore.」だそうで、はて、本邦にも似た古文がありましたね。では、その序を拝借して、

《男もすなるもの女もしてみむ》序曲 ハ長調  (Cf. 紀貫之 土佐日記)・・・・・・。

どなたか才能のある方、このハ長調序曲のようにエレガントで軽やかな名翻訳をお願いします。

W.A. モーツァルト/
 ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 K.364

1779年、神童は彼の音楽観を大きく変えることとなるマンハイム・パリ旅行からザルツブルグに戻る。マンハイムでは近代の標準編成オーケストラの原型である二管編成のフルオケの表現力に感銘をうけ、パリではシンフォニア・コンチェルタンテという分野の隆盛を見、その作曲技法を学んだ。しかし、その結果誕生したこの曲は非パリ的、むしろコスモポリタンなものであり、かの地の軽快な作風と一線を画した傑作となっている。ことに神童自ら得意としたヴィオラについて、ソロを2度上げ調律を指示したり、オケのヴィオラパートをヴァイオリンのように2声部に分けるなど、その他様々な面で楽器を知り尽くした上での画期的な試みがいくつもなされている。その一つは、中間第二楽章のハ短調という調性の採用と、その繊細な曲調である。この変ホ長調からハ短調という平行調移行が、実は次の英雄交響曲と同じであるのがプログラム上興味深い。

などと優等生解説はここいらにして、さて、このSinfonia Concertanteという代物、如何に我々は解釈すればよいのでしょうか。専門的な議論は私の手に余りますが、基調としては、協奏交響曲という訳語を使わない傾向も出てきていることにその答えはありそうです。この年代でのシンフォニアとは我々が今日「交響曲」と力んで呼ぶ代物ではなく、比較的編成の大きな管弦を交えた合奏曲にして、旧来宗教曲として発展した管弦楽を、非宗教曲でも楽しめる劇作序曲などに用いたものでした。つまり「(非宗教的)管弦合奏曲」とでも仮に呼称する重厚さが魅力の新ジャンル。しかし早くも露見してきた重大な欠陥(つまり、Bigだが鈍い)に対し、パリの音楽界である解決がなされる。複数の協奏的独奏とのマリアージュ。合奏の鈍さを補完する華麗なるソロの妙技と協奏曲にはないその掛け合いの悦楽、管弦楽の重厚な響き。当然大衆の人気を獲得します。しかし、その後この分野は発展するかと申せば、合奏技術の発達という方向性とソロの自由度や即興性重視の方向の中でコスト対効果の低い半端な存在として廃れていく運命にあったのでしょう。これはある意味、20世紀半ばのジャズ界ビッグバンド指向とその衰退と通じるなどと申しますと、ジャズファンの方の反感を買うでしょうか。C.ベイシー、D.エリントン、B.グッドマン…etc、彼らのバンドでそれぞれ編成や到達点は違えども、共通するsoli&tuttiへのあくなき指向はつまるところ重厚かつ華麗にして洒脱なSinfonia Concertante以外の何者でもない。ゆえに結論、本日は2人のソリストの華麗で繊細な妙技を心ゆくまで堪能して下さいませ。

L.v. ベートーヴェン/
 交響曲第3番変ホ長調「英雄」op.55

楽聖ベートーヴェンの変ホ長調交響曲。この偉大なる存在に、何をどう解説できるでしょうか。一,二楽章を偏愛する記述が跋扈するを鑑みると、ひねくれものの本解説には皆さん、三,四楽章礼賛を期待されますでしょうか。

実際、この交響曲は、変ホ長調の3和音より成るいわゆるエロイカ主題に端を発します。この調性的に堅固で故に展開性に乏しいはずの音素の見事な発展展開が一楽章の秀でた構造特性とすれば、対して四楽章は、実はエロイカ主題とは似て非なるプロメテウス主題、つまり3和音の3度音程を欠くことで不安定だが展開可能性が高い、ジュピター音型に似た性格のテーマによる変奏曲で交響曲を締めるという、傑出した独創的・画期的な試み。ともとれます。私は個人的に、楽聖の交響曲に芸術作品である以上に学術論文的価値を覚知してしまう質なのですが、その意味では以下に述べるとおり、本交響曲の白眉は四楽章以外ありえないとも思います。

ご存知のとおり、この四楽章は本作に2年ほど先立ってピアノ曲として書かれた、Op35のプロメテウス主題による15変奏曲を鋳型とした、しかるに別曲です。クールなストラヴィンスキー御大であれば、同じ主題もピアノ向け変奏はOp35となり管弦楽用変奏ならOp55の四楽章が正解だ。と仰せになるでしょう。しかし、Op35において比類ない変ホ短調の第XIV変奏や終結フーガがOp55では非採用の事実。そして、冒頭の序奏に続き弦楽器のピチカートで呈示されるプロメテウス主題は、即ち変相して隠れるように出現し、変奏されることで違和感なくこの交響曲の主題であるかのように振舞うものの、何か違う違和感が付きまとい解決せず、省略されたと思われた愛すべきOp35の第III変奏の音型と冒頭の序奏の再現を架橋として、ホルンに真のエロイカ主題が出現するとともに一気呵成に堂々たる完結を迎えるという、何か恣意的かつ演劇的な曲全体の構成の特徴。これらはまるで、他の楽章とのバランス上致し方ないとはいえ楽聖自ら崇拝した大バッハ的な構築的音楽という偉大なる保守に背を向けた、独自性と先進性への明白な指向ととるのは贔屓目だけではないでしょう。現代の我々には特別に感じられない三楽章も、この交響曲がそれまでの交響曲と異なり、3本の変ホないしハ調ホルンによる協奏交響曲的性質を持つと明示するトリオの存在など、当時としては革新的なものです。ニ短調第九とこの曲を除き楽聖の交響曲でのホルンは2本であることは、ご存知の方も多いでしょう。

進歩至上主義で言えば、人気の二楽章も構造的には、短調に次ぐ長調、あるいは大バッハに怒られないように言い換えれば、エオリア旋法間を架橋するイオニア旋法には、哀から楽への解決のように見えて、しかしそれがむしろ、悲しみを慟哭に変換する作用があるという、楽聖以前のカンタータなどで使い尽くされた、黴の生えた古臭い音法に過ぎない程度のものだという評価もありうるでしょう。どうか皆さん。今日はこの不当に軽んじられる偉大なる三,四楽章を存分にお楽しみください。



さて、メロス的解説も一段落し、筆を置くべきところです。しかし残念ながら上記のようなクールな立場を私個人は、この葬送行進曲以上に音楽的感銘を受けた異曲を持たない故に、本心から保つことはできません。私ごときド素人からワーグナー、ドビュッシー御大までの感情をわしづかみにする強大なベートーヴェン的世界。音符の行間世界のmagicに関し、こんな見方はどうでしょう。

この葬送行進曲は誰の死を扱ったと思われるか。この手の些事は市井の解説に頻出しますが、私は全く興味がありません。葬送行進曲とは当時の人気がありプロデューサーとして如才ない作曲家にとって、単純に貴族王族向け市場の販売戦略上非常に有望なプロダクトであった。以上で十分でしょう。むしろ、楽聖がこの葬送において棺に収まる骸にあたるものを、聞き手にいかなる存在として知覚させようとしたのか、に興味があるのです。死と音楽の関係の詳細は門外漢である私めの扱いうるところではないにしろ、音楽とは死を直接に表現することは不可能だが、音楽の背後にある死の人称を変換するきわめて効果的な装置として機能する。という自明の事柄を分析している成書が存在しないことに不満のある方が私の他にもいると信じます。いま少しお付き合いください。

少々飛躍した抽象論は理解しがたいと思いますので、この曲を題材に説明しましょう。この葬送行進曲の前半部を思い出しつつ、お読みください。 まず、作曲家は曲を葬送行進曲として定義し、曲の始まる前に死が発生した前提を持ち出します。その時点で、純音楽的に死は表現困難であるという意図が見えます。その上で、ある特殊な視覚化し易い解釈を試みます。舞台はそう、年に2回の盆に行われる半年で亡くなった人々の葬列が幾つも通り過ぎる村の葬送の儀式とでもしておきましょう。 冒頭からハ短調の淡々とした葬列の音楽、おそらく棺の遺体は聴衆の視点では、第三者の赤の他人であり、離れて手を合わせる程度の存在でしょう。「三人称の葬送」とでも表現しておきましょう。次にあろうことかハ長調で三連符つき舞曲風の明るい葬列に邂逅します。村の有名な愛すべき呆け爺さんの葬列でしょうか。あるいは、なぎら健一が先陣の故たこ八郎氏の葬列とでも例えましょうか。我々が近寄って亡骸に声をかける程度の親近感のある葬送は「2.5人称」とでもしておきましょう。次いで冒頭と似たようなものと思いきや、尋常ならざる雰囲気の葬列がやってきます。あろうことかへ短調のフーガを伴う葬列は、次第に悲劇色を深め、その頂点なる遺影の段において、英雄動機と同じあの変ホ長調がffのホルンにて、決して今死んではならないはずの人物の死を告げるのです。聞き手はこの音楽にその人の死を囲む大勢の慟哭の表現を感知し、いまやその棺の中には家族と同じような、死体でありながら頬を寄せて手を握り抱きしめても違和感のない二人称の人物の存在が圧倒的に示され、聞き手もまた慟哭に加わる。これだけでも、実は楽聖の緻密な計算よりなる比類なく畏るべき純音楽的な死の人称変換表現と解釈できるのではないか。例えば、同じくある英雄の死に寄せてとルードヴィヒ自身の注釈がある本作に3年ほど先んじた作品Op26変イ長調ピアノソナタIII楽章の葬送行進曲を聴いたときに去来する本作と比しての物足りなさは、前記の黴臭い用法に本質的差がない点を見ると、単に器楽と管弦楽という器の違いなのか、上記のような作曲意図の格段の向上に由来するのか、また全く別の分析が可能なのか、興味は尽きません。

では、さらにつきつめて上記には実は2.5人称という欺瞞があると考えるとどうなるでしょうか。実は上記で2.5人称と仮定したハ長調葬送こそ二人称であり、へ調に導かれる葬送とは実は一人称の葬送を意図したのではないか。これが、本日の解説のクライマックスです。即ちあのホルンによる変ホ長調の遺影に示されるのは、他ならぬ自分の姿であった。そのような表現とは取れないか。作曲者自身という意味でも、聴き手の聴衆自身がそのように導かれるという意味でも、現実には全く存在しえない一人称の、つまり私自身の葬儀葬送という超現実。そうでありながらなお、市場商品としての葬送行進曲の存在意義はまさに我が葬送の音楽をという一人称ニーズに他ならないではないか。この点に着目すれば、この曲は市場のニーズを直に把握しつつ、同時にまた若きルードヴィヒ自身の葬送の宣言、即ちハイリゲンシュタット誓書の音楽的表現そのものであり、悟りに至れない過去の自己を葬送し、新しい自己を宣する音楽なのではないか。そしてこの解釈に立てば初めて、楽聖自らの超克を表現したこの交響曲をして、作曲者が軍帥としての自己を葬送し民主主義の象徴としての自己を確立すると期待したボナパルト=ナポレオンその人なればこそ、この作品を献呈するに足ると信じ、それが成し遂げられないと知るやそれを破棄したという楽聖の伝えられる心理劇が矛盾なく受け入れられるのではないか。いずれにせよ、この曲(の作曲背景にあるもの)を転機あるいは変曲点として、ルートヴィヒは楽聖へと戻れない道を歩みだすことは疑いのない事ではないでしょうか。



楽聖のハ短調行進曲への極私的な思い入れを述べてしまいました。ハ短調という喪失と闘争の調を隠しテーマとする本日の演目において、神童の喪失と超克について書き漏らさず、可能な限り普遍的に併記する責任を感じます。このK364、作曲した1779年夏は神童の母親の一周忌でした。そこで書かれたこの作品は、気楽なシンフォニアでありながら、ハ短調に終始するメランコリックな二楽章を有し、彼のほかの類曲にないユニークなもの。旅先で急逝した母親の一周忌過ぎに書かれたこの曲はまた、2つの独奏楽器がVnとVaであり、2つが常に寄り添うように慈しむように表現されるに至って、Vaを得意とした神童の亡き母への思いすら反映しているかどうかはともかく、単なる委嘱された機会音楽を超えた存在として作曲家の内なる何かが表現された曲だと感じられるというシュバイツアー博士のような方も多いのではないでしょうか。そのような意味で、K364に限れば、私個人は協奏交響曲という翻訳がなぜか的を射ているようにも思えるのですが、皆さんは如何でしょうか。そしてまた、確かに楽聖の重厚な論文も説得力は強大ですが、たとえば、我々人間とは、分厚いWHOの報告書を理性的に解釈するよりむしろ、例えば不毛の大地に佇む痩せこけた子供の目が訴える何かを感じて、世界の危機を実感する存在でありましょう。本日の締めくくりとして、神童のこの頃の手紙に書かれたある言葉を引用したいと思います。

『私の音楽は、あらゆるレベルの人が感動できるものが必ずあるように出来ています』

神童、さらに畏るべしですね。

ある虫好き脳好き文筆家の勇気ある超克と空前のベストセラーを記念し、
なお一方で彼が90年前後になした傑作の森の再来こそを切望しつつ。

薪傍ご隠居
 
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