1806年、いわゆる傑作の森前半期の作である本変ロ長調交響曲は、ラズモフスキーQt.3曲とヴァイオリン協奏曲などとほぼ同時期に作曲され、これらに前後を挟まれて出版された作品。昨年心血を注いだ初のオペラ作品フィデリオが興行的に大失敗し(初演当時はウィーン自体がフランス軍占領下にあり、客にいつもの高感度の貴族や一般聴衆がほとんどおらず、フランス兵士にうめつくされていては当然であるとしても)知己には改作を強く示唆されるなど、この時期の楽聖には珍しい挫折体験ではあるものの、本来得意とする純音楽に還っての筆の冴えは留まることを知らず、数々の名作が送り出される。
変ロ長調交響曲は彼の偶数交響曲ならではの優雅さと暖かさを備え、テレーゼとの幸せな恋愛を髣髴とさせる陽気な気分に満ちている。かのシューマンはこの曲を二人の巨人に守られたギリシャの乙女のような作品とも賞賛している。
と、私は数十年前にそう読まされた記憶があるのですが、最近の論調もこのようなものなのでしょうか。ルートヴィヒのニ長調交響曲2楽章冒頭くらいならまだしも、この交響曲に楽聖の恋愛を見る輩という人々は、はて、手編みのセーターをプレゼントして或は恋人を想う連作七言律詩集を贈って感激されるどころかドン引きされてしまったというような経験すらしたことがないのでしょうか。ピアノにおける弟子の女性に練習曲として送る小品と交響曲の大伽藍を同等に扱う神経はいかがなものかと常々想うのは私だけでしょうか。
本来変ロ長調という気の置けないアンサンブル曲などで多用される調性は、シューベルトの5番交響曲のごとく攻撃性に縁遠い印象なのですが、何故か、楽聖はこの変ロ長調で本日のOp60、ハンマークラヴィーアソナタop106、op130SQなど問題作、大作、難曲を人生の節目節目で書く傾向があり、興味をそそられます。このような見地は聞き手の立場というよりは奏者の立場に近いことはまず申し述べておくべきでありましょう。いわゆる演奏困難な曲という特殊な状況についてです。
後年他の作曲家の作品に乱発された演奏不能のレッテルと異なり、楽聖の演奏困難というのは耳の機能低下と不確かなメトロノーム表示の問題として処理されることが多い印象があり、この曲も例外ではありません。
しかし、それ以外にも楽聖はこの曲の中に様々な意図的困難性を配置しているように思えてなりません。たとえるに1楽章の長大な抑圧的序奏やら再現部前の異様な転調、変ロ長調から最も遠いロ長調を配したり、2楽章では管楽器に突然高い音をpp で要求したり弦楽器には常に律動的な音符を要求し、3楽章は前編これアルペジオの練習にして高尚なスケルツォ!、そして4楽章に至っては、どう考えても早いテンポを要求される音楽にわざわざ早すぎるなと指定をし、メトロノーム値は演奏不可能なほど早い。これらは何を意味するのでしょう。
個人的に楽聖のデモクラシーへの傾倒に興味のある私としては、いくつかの要因の中でも、貴族社会の崩壊とともに出現した、音楽における奏者・楽団員と称する第3権力の出現への楽聖の反応と見れば面白いと思えるのです。
パパの当時は考えられなかった作曲家がパトロン以外の意向に従うということが、楽聖の時代になり、決して特殊な事情でなくなります。さらに現代ではまず第一に奏者という厄介な批評家が台頭し、まず作曲家は聴衆に受け入れられるかの前に、奏者を強く納得させる技量が要求されます。
これをポジティブに解釈すれば、神童が演奏におけるアマチュアリズムを嫌ったことと同値となり、神童の曲を自然体で優秀なプロとして演奏すればより豊饒な音楽になるわけですが、楽聖のこの曲は優秀なプロとして演奏しなければ形にならないという圧力、むしろこの作品程度を楽に演奏してしかるべきというような、奏者に対する十字架を与える印象があるのは私だけではないと推察します。
これはしかしながらこの時代において例えばエロイカ交響曲などを世に送った前衛的芸術家であれば必ず直面する問題のようにも思えます。昨今の音楽界でも若くして独創的な解釈をする音楽家ほど(私はcrazyかもしれないがstupidではない)などと自己弁護する場面を見かけます。楽聖が放ったこの交響曲というのはそのような言語で通常処理されるものが形になったのではないかと想うのです。実際この1810年前後において、ちょうど10年前にルートヴィヒの変ロ長調ピアノ協奏曲が果たしたように、この変ロ長調交響曲も当時の神童のリバイバルブーム下の聴衆には受け入れやすく、楽聖の演奏会で頻繁に取り上げられたと記録されています。その影で当時の奏者達は・・・。
さて、昨今の情勢のなかで、本論と同調する話題はないかとあきらめかけたところでしたが、オリンピックに面白い着眼点がありました。件の冬季五輪日本惨敗と報じられる件についてです。私はヤワラちゃんの金メダルより判定負けした篠原の銀メダルにより価値を感じる(どちらも大変貴重なものですが)変人だと断った上で、以下のような対比はどうでしょう。金メダル一つと大敗した日本でしたが、そのメダルが斜陽であったスケート界にもたらされたこと、そしてお家芸であるはずの日の丸スキー陣の苦悩は、たるんどるの一言ですます御仁もありましょうが、じつはその高コストの冬季スポーツ陣をささえた雪印や拓銀といったパトロンの相次ぐ崩壊が選手強化に大きな影を落としたことはあまり知られていないでしょう。神童と楽聖のprofessionalismに対するアプローチは、ある意味において、自己変革のメダリストの美しさと、200gの体重不足を理由に後進に機会を与えた老練な策略家が発した処方面への圧力との対比に私には重なってなりません。(でもあの人がやると天然ボケにしか見えない気もしますね。)皆さんはどうお考えになりますか。
モーツァルト年に地味に出版されたベルリオーズ/シュトラウスの管弦楽法完全邦訳。その労をなした諸氏に感謝しつつ。
薪傍ご隠居