note
第14回演奏会 
 
L.v. ベートーヴェン/《レオノーレ》序曲第3番 Op.72b
アダージョ−アレグロ ハ長調

  ベートーヴェンはオペラ《フィデリオ》のために4つの序曲を書いた。それらはこんにち、《レオノーレ》序曲第1〜3番と《フィデリオ》序曲として知られる(ホフナング音楽祭のレパートリーに《レオノーレ》序曲第4番というものがあったが、これはベートーヴェン作曲ではない)。第3番は、《フィデリオ》第2版(1806年初演)のために作曲された序曲で、《レオノーレ》序曲のなかでは最も演奏頻度が高い。《フィデリオ》初版(1805年初演)に用いられたのは第2番で、決定版(1814年初演)には新作の序曲(これが現在の《フィデリオ》序曲)がつけられる予定だったものの完成が遅れ、初日からしばらくは《アテネの廃墟》序曲が使われた。第1番は1805年ころ、《フィデリオ》のプラハでの上演(これは実現せず)を目指して書かれたらしい。
  こんにち、オペラ《フィデリオ》は最終版が上演されることがほとんどだが、その際、第2幕に《レオノーレ》序曲第3番が挿入されることがある。最近では2008年のウィーン国立歌劇場来日公演がそうであった。これはグスタフ・マーラーによって始められた慣例である。かのフルトヴェングラーは「《レオノーレ》第3番が機能を充分に発揮する適当な場所は一つだけ立派に存在しています」、「すなわち「牢獄の場」(第2幕第1場)の後です。この場所に置くことはグスターフ・マーラーによって創られたヴィーンの伝統にふさわしいし、劇の内部においてもヴァーグナーの《神々の黄昏》のジークフリートの死のあとの葬送行進曲と同じような意味を持つことになります。それは過ぎ去った出来事を追懐することになり、讃歌ともなります」(フルトヴェングラー『音と言葉』、芳賀檀訳、一部筆者改訳)と述べて、マーラーのアイディアに賛意を示している。

L.v. ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第3番 Op.37
第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ ハ短調
第2楽章 ラルゴ ホ長調
第3楽章 ロンド:モルト・アレグロ ハ短調

  ベートーヴェンの耳の聞こえは1790年代後半に悪くなり始め、この曲が書かれた1800年にはだいぶ悪くなっていたようである。ハイリゲンシュタットで遺書か決意書のような手紙を書いた翌年、1803年にウィーンにてベートーヴェン自身の独奏によって初演された。この時にはピアノ独奏部が完成しておらず、ベートーヴェンはほぼ即興で演奏したことが知られている。
  ハ短調(第1楽章)に始まり、ハ短調からはずいぶん遠く意外な感じを与えるホ長調(第2楽章)を経て、ハ短調に戻り、最後はハ長調で喜ばしく締めくくる(第3楽章)という調構成から、ベートーヴェンの第5交響曲(第1楽章から順にハ短調−変イ長調−ハ短調−ハ長調)を想起する人もいるかもしれない。また、これは偶然かもしれないが、第1楽章の第1主題は第5交響曲第4楽章の主題によく似ている。そのほか、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番ハ短調との類似が指摘されることが多い。

F. メンデルスゾーン/演奏会用序曲
 《フィンガルの洞窟》 Op.26 ロ短調

  1829年はメンデルスゾーンにとって実りの多い年だった。まず3月にバッハの《マタイ受難曲》の蘇演を成功させ、5月にはロンドンで自作の交響曲第1番を指揮し、演奏会後にスコットランドに旅行し、《フィンガルの洞窟》や交響曲第3番《スコットランド》の着想を得た。
  フィンガルの洞窟とはスコットランドのヘブリディーズ諸島の無人島スタファ島にある洞窟である。この洞窟の中の不気味なこだまに霊感を得てすぐにこの作品の冒頭の楽節を書き留めたメンデルスゾーンは、姉ファニーに向けて「ヘブリディーズ諸島がいかに感動的であったかわかってもらいたくて、その時に僕の頭に浮かんだものを送ります」と手紙に書いて、冒頭数小節を送った。1830年にいったん完成された際には『孤島』と称され、1932年の改訂・初演では『ヘブリディーズ諸島』に改められた。初版の総譜に『フィンガルの洞窟』と記されていたため、現在はその名で呼ばれることがある。
  メンデルスゾーンの作曲以外の業績として、ライプツィヒ音楽院の設立、オーケストラにおける指揮者の立場の確立、J. S. バッハ作品の再評価につながる蘇演などが挙げられる。また、シューベルトの死から10年後、生前の状態のまま遺された書斎で作曲家シューマンはこんにち《グレイト》と呼ばれる交響曲の楽譜を発見したが、この作品の初演を指揮したのはメンデルスゾーンである。

F. シューベルト/交響曲第7(8)番「未完成」ロ短調 D.759
第1楽章 アレグロ・モデラート ロ短調
第2楽章 アンダンテ・コン・モート ホ長調

  シューベルトはどうやら少なくとも14の交響曲の作曲を試みたようである。そのうち完成されたのは7曲(国際シューベルト協会によってつけられた番号によると1〜6番および8番《グレイト》)である。第7番「未完成」は第1〜2楽章が1822年に完成されたものの、作曲はそこで中断され、第3楽章は冒頭のオーケストレーションとスケッチが残された。1865年にヨハン・ヘルベックがウィーンで初演した。
  この作品がなぜ未完のまま残されたか、これまでに数多の議論がなされてきた。そのうち非常にロマンティックな仮説を提示したのは1933年のオーストリア映画《未完成交響楽》である。原題は”Leise flehen meine Lieder"といい、シューベルトのセレナーデとしてよく知られる「白鳥の歌」の中の一曲の歌詞「ひめやかに闇を縫うわがしらべ」からとられている。この映画では、この交響曲が未完のまま残された理由が、一途で純情な青年シューベルトとエステルハージ伯爵令嬢カロリーネの恋愛と絡めて描かれる。大貴族の娘と貧乏作曲家の恋は歓迎されず、結婚をあきらめざるを得ないシューベルトは、「わが恋の終らざる如く この曲も終らざるべし」(青山敏美訳)と、この交響曲の総譜に記し完成させなかった、というのである。シューベルトがエステルハージ家に出入りしカロリーネとの恋愛関係が噂になったのは間違いないようだが、一方でシューベルトは売春宿に入り浸っていたという証言があり、この映画で描かれるような純情なシューベルト像はあまり正確ではなさそうである。それに、シューベルトは途中で作曲を中止することが多かったため、この作品が未完のまま残されたことはそう特別なことではなかったかもしれない。この映画では《未完成交響曲》だけでなく《ロザムンデ》序曲、《菩提樹》、《アヴェ・マリア》など、シューベルトの佳曲が随所に用いられ、当時のウィーン・フィルの演奏で楽しむことができる。

  本日の演奏曲目には、日本でわりと早くから取り上げられたという共通点がある。4曲のうち少なくとも3曲は明治期に何らかの形で演奏されていたのだ。
  《未完成交響曲》の第1楽章は1900(明治33)年5月19・20日の東京音楽学校第四回定期演奏会において、ユンケルの指揮により演奏された。全曲初演はその2年半後の1902(明治35)年11月16日の同第七回定期演奏会でのことで、ユンケル指揮、東京音楽学校職員・生徒のオーケストラが演奏した。『音樂の友』(こんにちの同名誌とは別)には「成程これは立派なる演奏なりき〔中略〕当日の全力を集中したることなれば恐らくは完全に近かるべし」という評価が残されている。《未完成交響曲》はこの後も幾度となく取り上げられる。このころから人気が高かったことがうかがえる。
  ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の日本初演は、1908(明治41)年11月28・29日の東京音楽学校第十九回音楽演奏会でのことある。ソリストはヘルマン・ハイドリヒで指揮はユンケル。「管絃楽附ピアノ司伴楽(短ハ調)」というのがこの時の作品名表記で、「独奏部は理想的なピアノ司伴楽独奏部の模範とも為すべき者にして即ち此の楽器の曲として巧みに作られ且つ幾分華美にして然かも虚飾に流るゝことなき美妙なる音楽なり」などと解説された。「少し余計なところに指が触れたやうでした」という演奏会評もあり微笑ましい。
  なお、ユンケルはドイツ出身のヴァイオリン奏者で、ベルリン、シカゴ、ボストン等のオーケストラで首席を務めた。幼時にブラームスの眼前で彼のヴァイオリン・ソナタ《雨の歌》を演奏し激賞されたというエピソードの持ち主でもある。1899(明治32)年に東京音楽学校のお雇い外国人教師になり、ピアノ以外の音楽の実技全般を担当し、オーケストラを育てて多くの作品を日本初演した。
  《フィンガルの洞窟》のオーケストラによる日本初演については定かでないのだが、1899(明治32)年5月7日の同声会春季演奏会において、遠山甲子子、橘絲重、山縣きく子、神戸あや子が8手ピアノで演奏したことが明らかになっている(同声会は1896(明治29)年結成の東京音楽学校の音楽演奏グループ)。以上に挙げた演奏会は東京音楽学校奏楽堂(現在は上野公園内にある)にておこなわれた。
  時代はぐっと下って、1915(大正4)年10月24日の東京フィルハーモニー会第四回公開試演音楽会で山田耕筰の指揮により演奏された《レオノーレ》序曲第3番が、この曲の日本初演らしい。東京フィルハーモニー会は三菱財閥の岩崎小弥太の援助により山田耕筰が主宰したオーケストラである。当初は帝国劇場で演奏会を毎月開催すると謳っていたが、創立の翌年、山田の女性問題に激怒した岩崎が援助を止めたことによりあっけなく瓦解した。

  さて、本日の演奏会の前半にはハ長調の《レオノーレ》序曲第3番とハ短調のピアノ協奏曲第3番が、後半にはロ短調の《フィンガルの洞窟》とロ短調の《未完成交響曲》が配されている。ハ長調−ハ短調−ロ短調−ロ短調という調性のプログラミングからは、一見したところあまり深く考えられたものでないような印象を受けるかもしれない。だが、前半のコンチェルトも後半のシンフォニーもいずれも第2楽章がホ長調で揃えられているのに注目すれば、これが今回のプログラミングのミソであるように思えてくる。こだわりの選曲で有名なメロスフィルのことだからよもや偶然ではあるまい。
  前半ではハ長調を主調とする緊密な構成をもつ序曲の後、ハ短調を主調とするコンチェルトのなかで、ホ長調の第2楽章が優しく奏でられる。ハ長調・ハ短調の両者にとってホ長調は遠隔調で意外性がある。ちなみに《レオノーレ》の第2主題もホ長調であるから、正確には前半では二つのホ長調がきかれることになる。後半では、厚く塗られた油彩画のような序曲と、胸を締め付けられるような未完成交響曲の第1楽章がロ短調で奏でられた後、天上の美しさを湛えたホ長調の第2楽章が演奏される。つまり、前半はハ調の中に、後半はロ調の中に、それぞれホ調を秘めるという構成になっているわけである。半音違うだけの前半と後半で、ホ長調はいかに響くか。なんとも心憎いプログラミングである。

門前小僧
 
<<  前へ  |  プログラムノートへ戻る  |  次へ  >>

トップページ  |  お問い合わせ
Copyright © 2009 Melos Philharmonie. All rights reserved.